[No.2849] お気に入り機関区ベスト10 投稿者:田駄雄作  2002-09-05 (木)  12:14
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あらためて驚いたんですが、あんまり機関区って行ってないんです。
少し思い出してみましたが、北から南まで合わせても20区位でしょ
うか。私鉄や中国、スペイン、ポルトガルを入れればもう少しありま
すが。取り敢えず旧国鉄の中から10区に絞ります。
1.
小樽築港機関区
 北海道C62の基地ですから、外すわけには行きません。職員の方
 も親切で庫の中のC622を研修中にもかかわらず転車台上に出して
 いただけたり、C6216をC622の運用と振り替えて前補機にして貰
 ったり(取材と言う口実はありましたが)と言う思い出があります。
 いつも活気があったんですが函館本線の運用だけでなんであんなに
 機関車がいたんでしょうね。今は大ショッピングセンターに化けて
 しまいましたが。
2.
長万部機関区
 こちらも函館本線と室蘭本線の分岐駅、要衝として活気がありま
 した。C57、D51、D52、C62、C11、96と多くの機関車がいつ
 も待機していました。特に室蘭本線の長万部-東室蘭がDL化され
 てからは付け替えの機関車が待機するようになり、D51、D52が
 転車台に良く乗っていました。冬場は下りのニセコが途中で撮れ
 ないのでここの発車を狙うことも多かったですね。
3.
青森機関区
 ここは青森の駅から2kmくらい離れているので、回送列車に乗せて
 貰いました。奥羽本線、東北本線のあの膨大な数の貨物列車をこな
 すだけ合って、もの凄い数のD51が出入りするほか、旅客列車のC60、
 C61もゴロゴロ、津軽線などのC11、連絡船入れ換えの96やDF50、
DD51の他に昭和42年当時は客車区も隣接していたので夜行列車群
 気動車など、本当に何処を見ていいか判らず、撮っても撮ってもキリ
 がなかったですね。
4.
盛岡機関区
 初めて行った時(昭和41年)東北本線盛岡以南は電化されてはいま
 したが、貨物列車は殆どが蒸機でまだD62も健在でした。数十両の
 D51などの煙が風向きによっては機関区全体を覆ってしまい、視界が
 無くなるなんてことも良くありました。あの匂い(香り?)が蘇りま
 すね。許可を貰ってホームから直接機関区へ行くことが多かったので
 すが、いつも長ーい貨物列車が停まっているのでそれを迂回するので
 結局長い距離を歩く羽目になってしまいました。約15分間隔の貨物列
 車に2又は3台のD51が取り付いて行くのですから、その所用両数は計
 りしれません。24時間いつも汽笛とドラフトの音の絶えない凄い機関
 区でした。
5.
釜石機関区
 やはり41年の夏に訪問しました。釜石線用のD50.51、山田線のC58
ともに重油併燃、郡山式集煙装置装備のいかめしいスタイルでした。当
 時の釜石の街は新日鐵(富士製鉄)の4本の煙突が駅前にあり、とても
 活気のある街でした。釜石線は準急列車以外はすべて蒸機牽引で大橋の
 タコトンネルは10分近くかかり、乗客は煙で本当に真っ黒になりました。
 シックなラウンドハウスのある落ち着いた機関区でした。
6.
平機関区
 昭和42年の夏から電化開通の10月1日まで何度か通いました。機関区を
 訪ねるのは夜間が多く、ここでバルブ撮影や増感現像などのノウハウを
 学びました。夜は何本もの夜行列車を牽引するC62が次から次へと出庫
 して行くのでその整備、給炭、給水などでとても忙しく、事務所でも出区
 点呼などで緊張感が張りつめていました。電化開通当日の平機関区はもう
 運用に付くことのないC62がずらっと並び、前日最後の「ゆうづる」を牽
 引したC6223がヘッドマークもそのままに、他の機関車の入れ換え作業を
 していた姿が印象的でした。C6222と連結したときは本番では果たせなか
 ったであろう重連「ゆうづる」が一瞬実現しました。
7.
八王子機関区
 中学・高校が中央線の沿線にあったので学校帰りなどによく伺いました。
 86が廃車になった時は、ナンバープレートを磨かせていただき、横浜線C58
 は「さよなら」列車を作らせていただき、最後のD51515「八高号」は各部
 磨き出しのお手伝いをさせていただいた、思い出深い機関区です。区長さん、
 助役さんなど職員の方々のご親切は今でも忘れませんし、この趣味が未だに
 継続しているのもこの頃の体験によるところが多いと思います。
8.
大宮機関区
 ここは昭和40年の訪問です。初めて大きな機関区へ一人で行ったんだと思い
 ます。当時は96、D51がゴロゴロいました。古い煉瓦造りの庫も健在で、写
 真の撮りようによっては昭和初期とも言えるようなシュチュエーションでした。
 96は川越、八高線の列車とヤードの入れ換えに、D51は一時間置きくらいに
 運転されていた、水戸線経由で常磐線に抜ける貨物や板橋に行くセメント列車の
 牽引でした。今は東北新幹線の敷地となっています。
9.
奈良機関区
 高2の修学旅行の時、宿を抜け出して夜間撮影を強行しました。ラウンドハウス
 にはD51、C57、C58、C11、C12、86などのバラエティに富んだ機関車たち
 が顔を正面に向けてずらっと並んでいて印象的でした。関西の機関車はあまり撮
 っていませんが、この時の写真が今では宝物になっています。
10.
熊本機関区
 九州で唯一訪問したのが熊本機関区です。ここは駅の横にへばりつくようにして
 ある、こぢんまりとした敷地ですが、とても密度の濃いストラクチャーや機関車
 が揃っています。九州のエース、C6113も程良い位置に停車していました。昭和
 45年8月の訪問ですが鹿児島電化直前と言うこともあり、ED76も入区して、研修
 の真っ最中でした。C60.C61.C57.C11、96、もちろんD51もいます。またやたら
と気動車がゴロゴロあちこちに1両単位でおいてあり、キハ26が転車台で方転して
いました。

以上10区、大変北に偏向していますが長文にて失礼いたしました。ネガもおいおい探
します。(こりゃ大変だ!)

 

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