[No.2748] 非公式速度記録? 投稿者:燕号  2002-08-09 (金)  23:36

 こんばんわ、燕号です。
 非公式速度記録ですが、長谷川宗雄様の「動輪の響き」の中に 出征する乗務員が最後の乗務の日に、心残りの無い様C50(単機)を東海道本線上で思いきり走らせた話が載っています。その話では120キロにメーターの針が届いても、尚加減弁を開け続けたと書いて有り、120キロ超のスピードが出たであったろうと思われます。又、時速100キロを越えると、振動は逆に小さくなったと書かれています。
 公式記録としてはC6217木曽川上での127キロが残っていますが、実際の運転では、これを越える運転もされていたと言う処が本当ではないでしょうか。
 今の常識からすると、時速100キロと言うのはクルマで、高速道路等でいつでも体験出来るスピードですが、当時としては画期的なスピードだったのでしょうネ。
[No.2701] 助太刀、いたみいります。 投稿者:燕号  2002-07-28 (日)  23:56

 こんばんわ、燕号です。
 <isobe201様
 解説、ありがとうございます。しっかし、詳しいですねえ〜。ここで、燕号からも薀蓄を一つ、 「エッヘン、鉄橋と言うのは鉄道橋の略で有りまして、鉄で出来た橋では無いのであります。従って、コンクリートで有ろうと木橋であろうと、鉄道橋で有るならば鉄橋なのです!」 って、知ってましたか、常識ですか、引っ込めってか。ハイハイ、判りました、解説はisobe201様におまかせするとして、ならば私は
 7、日豊本線小丸川鉄橋
 高鍋駅近くの小丸川河口に位置するコンクリート製橋桁を持つ長い、長い鉄橋です。南北方向に架かる鉄橋の為、朝夕の光線状態が良く、側面ギラリの写真が狙えます。数年前のフルムーンパスのポスターにも使われました。
 この鉄橋を知ったのは小学生の頃の鉄道に関する本で、橋桁の架け替えに関する項目で、この鉄橋が紹介されていたのでした。ナンでも海に近いため、それまでの鉄桁から塩害(腐食)の無い、コンクリート桁に替えたそうです。土木工事としては結構有名な工事だったらしいのです。尤も蒸機撮影時にはそんな事すっかり忘れていましたが、それから数年後、何処かの図書館で、その本に再会し、撮影で訪れた小丸川鉄橋を懐かしく思い出しました。
[No.2696] 鉄橋の名前 投稿者:燕号  2002-07-28 (日)  18:19

 こんにちわ、燕号です。
 <佐々木様
 >2.由良川鉄橋(舞鶴線?)
 これは多分私と同じ宮津線の由良川鉄橋ではないでしょうか?舞鶴線に由良川を渡る鉄橋は無かった筈です。
 >4.高森線の鉄橋(高森線)
 実は私も高森線のアーチ鉄橋は白川第二鉄橋だと思っておりました。第一はそれより立野駅寄りの発電所の流水管を跨ぐ鉄橋だと。で、確認のため当時の撮影ガイドを見ると、第一(SLダイヤ情報)と有り、又二万五千図でも確かに白川を渡るのはアーチ橋で、その手前の鉄橋は支流を跨いでいるに過ぎませんでした。で、アーチ橋を第一と表記させて頂きました。が、違ってます(自信有りません)?
 何方か正解ご存知の方いらっしゃりますしたらお教え下さい
[No.2694] 燕号版”鉄橋の風景” 投稿者:燕号  2002-07-28 (日)  01:33

 こんばんわ、燕号です。
 ”鉄橋の風景”参加させて頂きたく思いますが、私はisobe201様程の知識も無く、比較される事さえ出来ないレベルだと思いますので、燕号版とさせて頂きました。
 1、宮津線由良川鉄橋
 とても長い鉄橋です。プレートガーター橋と言うのでしょうか。この鉄橋を初めてみたのは中学生の頃、本屋で立ち読みした鉄道写真集でした。川面に近く、長い長い鉄橋はまるで列車が海の上を行くかの様に見えました。列車はC58か96かの旅客列車でしたが、鉄橋の記憶が強烈で列車の記憶は定かでは有りませんでした。何処にあるのかも中学生の私には判らず、それが宮津線の由良川で有る事を知ったのはずっと後になっての事でした。そして、その頃には既に無煙化、憧れの鉄橋での蒸機の撮影は永遠に不可能となってしまいました。それから20年近く経ったある日、雑誌の片隅の見落としそうな小さな記事で宮津線が第3セクターに移行するに当たって、国鉄線最後の日にC56が客レを引いて走る事を知りました。’90年3月31日、20年来の私の夢が叶った日でした。その日は雨で低く山に掛かる雲が描く墨絵の世界の中、由良川鉄橋の上C56は走り去りました。

 2、高森線第一白川鉄橋
 中空にアーチを描く鉄橋で、見上げる様な高所を走っています。ここの撮影は戸下温泉の旅館の裏庭が、いいポジションが得られるのです。もっぱらの噂では、「旅館内に入れてはくれない」と言われてました。そのポイントに辿り着くには、旅館の廊下を抜け、プールサイドを通らないと行けず、宿泊客でも無い者に便宜をはかってくれるとも思えませんでした。
 駄目モトで旅館と交渉すると、拍子抜けする程簡単にOKが出て、靴を手に廊下を抜け、プールサイドを通り、目的の位置で有る、黒川、白川の合流点に出る事が出来ました。雨が降ってきたら旅館内で雨宿り、列車の合間には旅館で食事をし、雨上がりの濡れた河原の巨石を前景に、遠く上空の白川第一鉄橋を行く列車を撮る事が出来ました。

 3、山陰本線惣郷の橋
 夕方の事です。目的の列車を撮影し、宇田郷の駅に帰る途中の事でした。空は俄かに掻き曇り、突然大粒の雨が降ってきました。その降りが余りに酷いので、暫し雨宿りしたのでした。しかし以外と雨は長引き、結局乗ろうとしていた列車には、もう間に合わない時刻となってしまい、開き直ってその列車も撮影する事にしました。そう思うと、どうでしょうか、雨が止み、雲はちぎれ、雲間から空が見え始めました。その空は、雨が降る前の青空では無く、落陽に照らされ真っ赤に染まる空でした。更に雲間は広がり、空も海も真っ赤に染まり、赤い空と海をつなぐ惣郷の橋の上をD51の客レは短い列車を引いて走ってゆきました。

 4、日豊本線大淀川鉄橋
 川岸に植わるフェニックスの木とホテルのデッキチェアに優雅に座り、寛ぐ観光客。それに比べ蒸機を撮影する私のみすぼらしい事。私も一度はこうして優雅に汽車を見れたらいいと思っていました。でも、その当時でさえも、多分性格的に自分には無理で有る事は判っていました。その後、蒸機がいなくなって、永遠に不可能となってしまいました。

 5、中央西線落合川鉄橋(下り線)
 比較的新しいトラス橋です。多くは語りませんが、この鉄橋上でD51の引く貨物列車と「コンニチワ」してしまいました。列車が通るとあの頑丈に見える鉄橋が揺れる揺れる、生きた心地はしませんでした。

 6、参宮線宮川鉄橋
 今も現役、C57、D51時代から今も変わっていません。

 以上、6橋を紹介させて頂きました。

 

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