準々グランプリ

 

磐越西線 阿賀野川釜ノ脇橋梁

 

isobe201様

 

isobe201様 日本の鉄道橋は英国人建築師長のポーナルの指導で(在職1881〜96)200フィート型のトラスを導入できるようになり、初めて揖斐川、長良川、木曽川、天竜川などの大河川を渡り東海道線の延伸が可能になりました。英国流の設計は経験則に基づくものでしたが、当時東大に雇われていたカナダ人のワデルはその経験一辺倒の設計思想を強烈に批判し、応力など緻密な理論計算に基づくアメリカ流の設計を採用するよう主張しました。また交通量の増大でより、大型な橋を架ける必要が生じ、ポーナルが帰国すると、一転してアメリカ人技師、クーパーとシュナイダーに橋梁の設計を委託しました。そして国産の橋梁が登場するまで、アメリカ製のトラスを輸入しました。その一連のトラスの最後に登場したのが1911年アメリカンブリッジ製のピン結合の300フィート型下路プラット・トラス橋梁の阿賀野川釜ノ脇橋梁です。(阿賀野川徳沢、阿賀野川深戸の2橋は1912年製の同形です)阿賀野川は水量が豊富で流れも速く、これらの架橋地点で水深15mもあったことから、当初から難工事が予想されたので、ワデルに技術指導を仰ぎ、日本初の張出し式架橋法を採用、中央トラスは足場を作らずに架橋しました。大型で独特なスタイルはC57よりもD51のほうが似合いそうです。
ピントラスは静的理論では万全でしたが、活荷重、ピンの磨耗などの欠点が明らかになり、(あのC6217のスピード記録はピントラスの強度試験の産物です)阿賀野川深戸橋梁の中央トラスは1983年11月20日日中に線路閉塞して架け替えられましたが、撤去するときも水深の深さを利用して、旧橋を川に突き落とすという荒技がとられました。残る釜ノ脇、徳沢もいずれ近いうちに架け替えの時期が来ると思いますが、また荒技が見られるのでしょうか。
831列車様 どれが一番ということはありません。種類も豊富、景色も四季を問わず見事、まさに唱歌の「鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな」のフレーズを味合わせてくれる区間です。

 

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