[No.2767] 第6水窪川橋梁 投稿者:isobe201  2002-08-15 (木)  02:13

吉野富雄さん
たいした写真ではないので、恐縮です。本当は中部天竜のレールパークに行ったのですが、そこにこの橋梁を俯瞰した写真があったので、急遽思い立って訪問しましたが、全然登り口が見つからず、やむなくお手軽ポイントで撮りました。どなたかこの俯瞰場所の行き方を知ってる方は居ませんか?
これにかぎらず、カーブを描いた橋梁は好きですね。蒸機以外はあまり興味ないのですが、高山線・第一飛騨川橋梁、大井川鉄道・大井川第一橋梁、中央東線・横吹沢橋梁(現存しない)−の3箇所は撮りに行っています。

佐々木さん
八高線入間川橋梁の写真は既に掲載されていますよ。(バナーとして)(笑

福島出張ですか??東京でミニオフ会したいところですが、忠賢八高さんが忙しそうなので、どうでしょうか?忠賢八高さ〜ん!
[No.2753] 山本式可動橋 投稿者:isobe201  2002-08-11 (日)  14:31

あまり文献に出ていないのでネットで調べました。(;´Д`)ハァハァ…
全国に7ヶ所あったそうですが、判明したのは次の通りです。
1928 坂出市栄橋(道路橋:現存しない)
1931 末広橋梁
1932 四日市市臨港橋(道路橋)
1934 1・2号地間運河可動橋
山本式はアメリカ留学の経験をもつ山本卯太郎氏が設計し、特許を取得するなど名声を高めたそうですが、同じ物がアメリカにあることが判明して、評価を下げてしまったそうです(それであまり本には紹介されていないのかも?)。
花宗線?は田駄雄作さんの花宗川が正しそうですね。それにしても旧佐賀線を紹介した資料には殆ど「2つ目の可動橋」に触れていないのはなぜでしょう?ヽ(`Д´)ノ
JTBブックスの「鉄道廃線跡を歩くVII」に花宗川橋梁の写真がありましたが(これは見落としてました)、四日市のものや東名古屋臨港線のものと比べ小ぶりなので、余り似ていないような…。説明によると、こちらは廃線後に、河川の改修工事にあわせて撤去されてしまったようです。
[No.2744] 可動橋2 投稿者:isobe201  2002-08-09 (金)  00:29

忠賢八高さん
男鹿線八郎川橋梁は可動部を架け替えて普通のプレートガーダーになってしまいました。清水港線の巴川可動橋は解体。佐賀線筑後川橋梁は動態保存を計画中。
1・2号地間運河可動橋 保存 跳開 旧東名古屋臨港線
北港運河第一橋梁    撤去 跳開 桜島線
住吉橋梁        撤去 昇開 旧舞鶴港線
貞山堀運河橋梁     撤去 昇開 旧塩釜港線
古川橋梁        撤去 跳開 旧芝浦臨港線
第三可動橋       撤去 昇開 大阪臨港線
他にもまだあると思いますが、手元の資料ではこのくらいです。
船の乗降・荷役用の可動橋も立派な可動橋ですが、趣味的には、鉄道橋または道路橋を船舶の通行のため開閉するものを言うのではないでしょうか?
[No.2738] 可動橋 投稿者:isobe201  2002-08-07 (水)  18:00

吉野富雄さん
可動橋という意味では、ずいぶん昔に可動でなくなったようですが、和田岬線の和田旋回橋も電化後も今なお現役です。(ピクトリアルによると、いつ固定にしたのかは判らないほど昔の事らしいですが、人力で転車台のように旋回させたとの事です)
脱線しますが、肱川河口に架かる長浜大橋(道路橋)は日本唯一のバスキュール式可動橋で、現役です(但し開閉するのはイベントのときだけらしい)。「肱川あらし」の長浜大橋の風景はTVで見たことがありますが、何かの機会に見たいもののひとつです。

末広橋梁はネットでも数多く検索出来ますが、1931年竣工の山本式跳開橋(山本工務所製造)で、ピクトリアル誌によれば、前後のプレートガーダーも錬鉄製の大変古い貴重なものだそうです。
鉄橋の素材として錬鉄(炭素の含有は極めて少ないが、鍛錬して作るので手間がかかるし、大型のものを作りにくい)の時代から鋼鉄(炭素の含有が錬鉄と鋳鉄の中間で、加工に優れた素材)の時代へ、さらに最近では耐候性鋼を裸使用と推移しています。(耐候性鋼は安定錆を発生させて、それを保護膜にして、塗装を省略し保守作業をより少なくする)

そういえば、「お気に入りの鉄橋」には耐候性鋼の橋梁がひとつもあがってませんが、やはり近代的とはいえ、錆だらけの橋よりも、古式ゆかしい橋のほうが人気はあるのでしょうね。

忠賢八高さん
投票は??
[No.2725] 橋梁のHP 投稿者:isobe201  2002-08-02 (金)  00:25

忠賢八高さん
橋梁の形態は多すぎて、どうにもまとまりません。ネット上ではこれが圧巻です。
http://tbsa.cool.ne.jp/
TADAさん
伊予鉄道重信川橋梁は1896年完成の南予鉄道時代のダブルワーレントラスということですが、1980年、普通のプレートガーダーに架け替えられてしまったそうです。それにしても貴重な写真ですね。
[No.2716] またもや…余計な解説なんぞを 投稿者:isobe201  2002-07-31 (水)  23:05

会津線(会津鉄道)闇川橋梁
斜材が一定の方向を向いた、バランスドアーチ橋を半分に切ったような奇妙な形状の橋梁で、「はねだし桁つきプラットトラス」という形式だそうです。1934年竣工、全長51.6mですが、闇の名前通り鬱蒼と茂った樹木に遮られて全景は見ることが出来ません。
トラスの設計は荷重の計算などに大変な工数がかかるため、長らく「標準設計」と称して、100フィート、200フィート、300フィートの標準品を現地に適用する方式でしたが、この頃から現地の実情に合わせて個別に設計・製作するようになったようです。このような一風変わった橋梁をここに適用したのは、資材の運搬に片側からしか入れなかったからと何かの本に書いてあった記憶がありますが、どの本だったか??残念ながらすぐには見つかりませんでした。(この記憶についてはあまり自信はありません)
御殿場線第三相澤川橋梁
初代はポーナルの200フィート型のダブルワーレントラス、二代目がクーパー設計の200フィート型のシュウェドラーで、D52時代はこの二代目。三代目が現在の平行弦ワーレントラス。なお、相澤川は酒匂川の上流部の名前です。
東海道本線上淀川橋梁(新大阪−大阪)
3複線のうちの下り線は1934年開通のプレートガーダー、中央の上り線は1901年開通、クーパー設計の100フィート型の下路プラットトラス、1899年A&Pロバーツ製。22連全てが開通時のものです。貨物線はプラットトラス 40.1m 2連、31.6m 19連で、1923年川崎造船・汽車会社製。
会津のけむりさん
今回の企画は会津のけむりさんの投稿がきっかけです。どうもありがとうございます。また会津のけむりさんも詳しいですね。金沢大の教授のことは知りませんです。信州大の小西純一氏の論文なら…。
ダム建設についてのご意見はそのとおりだと思います。必ず利害対立があり、それに政治家が絡むと訳のわからない世界に…。こうなってくると決して丸く収まることはありません。結果としてトンネルだらけの味気ないルートに付け替えられた鉄道が如何に多いか…。
pentaさんのご意見のように発電用という面もありますが、発電にはそれほど期待はしていないのではないでしょうか?それよりも今の日本はかなり重度の供給過剰状態なのに、社会的ニーズがまるで低調なので、無理やり需要を作り出していることが根本的にあるのでしょう。そういう意味で強引に需要を作り出して高速道路やダムを作るより、蒸気機関車のイベントをするためだけの鉄道建設のほうが需要はあると思うのですが。我々のニーズがまだまだ少ないと思われているのでしょうか?それとも「族」議員がいないからでしょうか?それともそこにおいしい土木工事が見込めないからでしょうか?
[No.2707] またまた助太刀 投稿者:isobe201  2002-07-29 (月)  21:22

佐々木さん
高森線の写真は立野橋梁、96重連の写真は第二今川橋梁です(たぶん間違いないと思います)。
調子に乗ってまたもや解説なんぞをしてみたりして…。それから、参考文献は「日本の橋」(社団法人日本橋梁建設協会)とピクトリアル誌です。
湧網線常呂川橋梁
湧網線のシンボルとも言うべき橋梁ですが、手元の資料には何の記事もありません。1936年10月10日の開通時のものと思われ、典型的な下路ワーレントラスの形状で、古い100フィートのポニーワーレン橋を鋲結合に改造したようにみえます。
飯山線信濃川橋梁
鉄道橋として初めてケーブル架設法(1927年飯山鉄道として)で建設された、46m上路プラットトラスを中心にした全長146mの橋梁。ケーブル架設法というのは建築中の1対の橋脚に一旦鉄塔を建て、ケーブルを渡して、吊手を下げて、ここに下弦材を掛け渡して順次上の部材を組み立ててゆく架設法です。翌年同じ方法で越美南線第三長良川橋梁の建設に採用したということです。46mというのは150フィートなのか、メートル単位で計画されたのか?ですが、このころから、メートル単位の時代になったようです。
中央西線第五木曽川橋梁(南木曽−田立)、第一木曽川橋梁(坂下−落合川)
両方とも初代の橋梁は1907年アメリカンブリッジ製のピン結合の300フィート型下路ペチット(ペンシルバニア)・トラスで、当時としては破格の大型橋梁です。第五木曽川は1971年の複線化に際してルートごと変更されて撤去、第一木曽川は1968年の複線化の時に名古屋方面の下り線として引き続き使用されたものの、老朽化により1972年4月24日にほぼ同じサイズのワーレントラスに架け替えられて、現在に至っています。
小海線境川橋梁
赤岳バックの名所は、境川橋梁です。山梨・長野の県境にあるからで、西川橋梁は野辺山駅の信濃川上方にある、これも撮影名所の橋梁です。
日豊本線の橋梁のガーダーおよそ600連は、初めて操重車を使って現地に設置されたと、書いてありますが、それ以上は書いてありませんでした。
[No.2700] 助太刀いたす 投稿者:isobe201  2002-07-28 (日)  23:13

831列車さんの「C12大いに語る」拝読しました。さすがアイディアマンの面目躍如といった面白い話ですね。最近カキコが少ないと思ったら、こんな内職をしていたんですね。
さて、少々ウザイかもしれませんが、鉄橋の解説を少々…。なお、佐々木さんの言われるとおり、コンクリート橋でも、特に著名な橋でなくても、解説を入れなくてもいいと思います。
山陰本線餘部橋梁
1911年開通時に建設された、日本初であり、最も有名な鋼製トレッスル橋梁。設計はアメリカ人技術者のウェルフェルと古川晴一。11基の橋脚はアメリカンブリッジ製、23連のプレートガーダーは石川島造船所製で、全長309m、高さ41m。
高森線(南阿蘇鉄道)第一白川橋梁
日本初の鉄道用鋼製バランスド・アーチ橋で、1928年カンチレバー式で足場を設けずに建設された。全長166m高さ65mは長らく日本一の高さでしたが、高千穂橋梁の105mがあっさりその記録を抜き去りました。
立野駅近くの橋梁は立野橋梁で、餘部橋梁に似たトレッスル橋脚のガーダー橋梁です。
佐々木さんがリストアップされた田川線の橋梁は、幅の広い赤レンガ橋脚が入り混じったやつではないでしょうか?だとしたらそれは第二今川橋梁です。
これも有名撮影地でしたが、橋の方は普通のガーダーですが、コンクリート橋脚に幅の広い赤レンガのものが混じっているので、疑問に思われた方が居ると思いますが、(私も資料でしか知りませんが)ここには全国唯一の200フィート型ボーストリング・トラスが架かっていたものを、1926年の架け替えの際に、橋脚を増設して普通のプレートガーダーに交換したからです。
ボーストリングは九州鉄道がかたくなに拘った形式で、上弦が放物線を描く特徴的なスタイルで、ドイツ製です。短命なものが殆どで、転用先でも使命を終えました。

参宮線宮川橋梁
独特なスタイルは11連の上路プラット・トラスでダブルワーレン状に補強されたものの、開通時のままです。
[No.2692] 鉄橋の風景 投稿者:isobe201  2002-07-27 (土)  23:59

管理人さん、佐々木さんの賛同が得られたようなので、まず言い出した私から「鉄橋のある風景」をリストアップしましょう。
1.磐越西線一ノ戸川橋梁
通称、山都の鉄橋。「ばんえつ物語号」の定番撮影ポイントとして有名ですが、1908年アメリカンブリッジ製のピン結合の200フィート型上路バルチモア・トラスという古い、希少価値のある橋でもあります。15連のプレートガーダーを加え、全長446m、高さ24mの、どこから見ても絵になる鉄橋で、年代物のせいか、蒸機に良く似合います。
同じトラスは磐西のほか中央東・西線、山陰線などで同時期に17連が輸入架設されましたが、ルートの変更や老朽化で架け替えられて、現役は同じ磐西の蟹沢橋梁(上野尻−徳沢)、秩父鉄道浦山川橋梁、安谷川橋梁(いずれも磐西の初代阿賀野川当麻橋梁の払い下げ品。このうちの150フィートの上路プラットも秩父に貰われて、押手沢橋梁として現用)の4連のみ。
2.只見線第一只見川橋梁
只見線は鉄橋の見本市と呼ばれるくらい多種多様な橋が架かっていますが、個人的にはやはり、このバランスドアーチ橋が気に入っています。せき止められた川面に鉄橋の影が映るのが魅力です。昨年のC11325のイベントの時もここで撮りました。全長174m。昭和13年汽車会社製。
3.八高線入間川橋梁
単純なプレートガーダー橋ですが、架橋の位置が良くて、美しいシルエットを見せてくれる場所でした。このHPのバナーにも使われている撮影名所。私はD51時代は行ったことが無いのが残念。
4.磐越西線阿賀野川釜ノ脇橋梁
日本の鉄道橋は英国人建築師長のポーナルの指導で(在職1881〜96)200フィート型のトラスを導入できるようになり、初めて揖斐川、長良川、木曽川、天竜川などの大河川を渡り東海道線の延伸が可能になりました。英国流の設計は経験則に基づくものでしたが、当時東大に雇われていたカナダ人のワデルはその経験一辺倒の設計思想を強烈に批判し、応力など緻密な理論計算に基づくアメリカ流の設計を採用するよう主張しました。また交通量の増大でより、大型な橋を架ける必要が生じ、ポーナルが帰国すると、一転してアメリカ人技師、クーパーとシュナイダーに橋梁の設計を委託しました。そして国産の橋梁が登場するまで、アメリカ製のトラスを輸入しました。その一連のトラスの最後に登場したのが1911年アメリカンブリッジ製のピン結合の300フィート型下路プラット・トラス橋梁の阿賀野川釜ノ脇橋梁です。(阿賀野川徳沢、阿賀野川深戸の2橋は1912年製の同形です)阿賀野川は水量が豊富で流れも速く、これらの架橋地点で水深15mもあったことから、当初から難工事が予想されたので、ワデルに技術指導を仰ぎ、日本初の張出し式架橋法を採用、中央トラスは足場を作らずに架橋しました。大型で独特なスタイルはC57よりもD51のほうが似合いそうです。
ピントラスは静的理論では万全でしたが、活荷重、ピンの磨耗などの欠点が明らかになり、(あのC6217のスピード記録はピントラスの強度試験の産物です)阿賀野川深戸橋梁の中央トラスは1983年11月20日日中に線路閉塞して架け替えられましたが、撤去するときも水深の深さを利用して、旧橋を川に突き落とすという荒技がとられました。残る釜ノ脇、徳沢もいずれ近いうちに架け替えの時期が来ると思いますが、また荒技が見られるのでしょうか。
5.肥薩線第一球磨川橋梁
ピントラスばかりリストアップしてしまいましたが、このピン結合の200フィート型トランケート・トラスは川を斜めに渡るために設計されたもので、7連が輸入されましたが、現役はこの第一、第二球磨川の各2連の4連。58654がたまに肥薩線方面に運転されるときはここで撮ってみては如何でしょうか?
なお、中央東線第一天竜川橋梁(現存しないが、これと同じトラス)は日本ではじめて川を斜めに横断した橋梁という事です。
長々と書いて、申し訳ありませんでした。5箇所しかリストアップしませんでしたが、ほかにも魅力的な橋はいっぱいありますが、またあらためて。
[No.2688] 鉄橋の風景は如何でしょう? 投稿者:isobe201  2002-07-27 (土)  00:35

忠賢八高さん
松浦線の支線は柚木線、臼の浦線、世知原線とどれも、石炭の積み出しを目的に建設されましたが、昭和44年(昭和37年と記述した資料もあり)に出炭量の減少で貨物がなくなり、昭和42年に一足先に廃止になった柚木線の後を追うように世知原線、臼の浦線ともに昭和46年12月26日に廃線になりました。
最近の廃線跡ウォッチングの本にしばしば紹介されるので、それなりに知られているところだと思いますが、この辺の記録がありましたら、九州部屋がオープンしたときなどに拝ませてください。
しばらく、ネタが出ない、お気に入りシリーズですが、「私のお気に入りの鉄橋、あるいはトンネルの風景」というのはどうでしょう?(思いつきですが)
ちなみに鉄橋なら顰蹙を買うくらい詳しいですよ。

 

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