[No.1435] デフの交換時期  投稿者:isobe201  2002-02-10 (日)  00:47

 

TADA様
デフを交換した時期について、「鉄道ファン」70/3(門デフ調査レポート(2))には、次の記載がありました。
D51135 昭和33年
D50227 昭和33年
C58385 昭和32年
C58314 昭和40年
また、あの松本謙一氏率いるプレスアイゼンバーン「D51」vol2には
D51473、D51512の履歴に長工式デフ装着の記事がありましたが、N2の473号に昭和33年(N2は昭和34年春から制作されたというのが、関レポートにあるので、この記載は謎?)という記載があり、さらに512号は関レポートには長工デフをつけた対象になっておらず、しかも昭和31年9月の甲修でということになるとN1より先になってしまうので、これも謎?ということになりました。
C6212の件にしろ、どうも工場の記録・鉄道雑誌の記録には疑問点が多いですね。

 

[No.1385] 変形・切り取りデフ  投稿者:isobe201  2002-02-02 (土)  11:16

 

長工デフ:C55、C57の小工デフは格好良く見える反面、D51などボイラの太いカマには余り似合わなかったように思います。そこへいくと長工デフはD51の本場だけに、C57にもD51にも大変良く似合う、いいデザインだと思います。
C574 このカマは、何を置いても外せない。
D51824 長工デフD51の代表は篠ノ井線サヨナラを牽いたこのカマ。白ヒゲ+長工デフ+長野式集煙装置+B型重油タンクの典型的長野型。保存に当り、集煙装置、重油タンクを外されたのが残念。
小工式:日本における切り取りデフの発祥として、その功績は大きい。
C5513 前方に傾いた独特なK2デフ。唯一のK2。
C57175 九州最後のC57で、小工式の最大派閥K7の傑作。
58654 現役当時の小工式と現在の小工式でスタイルが違うのが贅沢。動態で見れるのが嬉しい。
79602 太いボイラには似合わないとはいえ、なぜか96にはフィットする。
後藤デフ:数の割に、変化の多い後藤デフ。
D51499 説明の必要なし
C5833 (C58385)これも今更解説は要らんでしょう。
大宮で見られた背の低いデフ:理論的にボイラ中心線の下半分は、排煙を上昇させる気流を作らない−即ち門デフの設計思想に対するアンチテーゼ。関係者はなぜ、このような排煙に関係ないデフを取り付けたのでしょうか?「大宮で見られた背の低いデフ」という呼び方はR/J9600特集より。
49649 米坂線、のちに北海道で活躍したが、最後まで背の低いデフはそのままだった。
戦時型のデフの面影の残るデフ:戦時型のカマはデフの骨組み以外は木製で、装備改装のときに新品に交換しましたが、中には骨組みはそのままで木を鉄板にしただけのカマが戦時型の雰囲気を残していた。
D511127 実際に見ることが出来たから。

[No.1372] 交友社より  投稿者:isobe201  2002-02-01 (金)  11:38

 

TADA様 吉野様
交友社殿にC6212の件でMailしましたら、次のような回答を頂きました。
「C62 12の幻のツバメマーク〜ツバメマークにつきましては,今夏までに本誌で小集いたします.」
楽しみですね〜。
831列車様
19680は直方から直接北海道に渡ったのでなく、熊本経由で北海道に渡りました。門デフも熊本でつけられたのではなかったか?(記憶があいまいですいません)と思いますが、どのカマから移植されたか、ご存知の方いらっしゃいます?
佐々木様
「切り取り&変形デフ」は選定が難しいので、先陣を切って投票するのは大変なので、どなたか先にお願いします。
田駄雄作様
よく考えたら、「ハドソン3兄弟」という呼称はしばしば目にしますが、D62はD52と、D61はD51と、D60はD50とそれぞれ一緒にまとめて紹介される場合が殆どです。母体となったカマの製造年代が違うからでしょうか?

 

 

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