[No.1413] 継ぎ足しデフ  投稿者:831列車  2002-02-06 (水)  21:14

 

「切った」のではなく「足した」デフも変形に加えるか、について佐々木様などにお伺いしたところ、「よいのでは?」ということでした。が、私が現車を見た記憶はあまりなく、資料に見られる継ぎ足しデフ車のものも結構古いので、皆さんもあまり馴染みがないかもしれないので、「こんなカマもいました」ということで番号だけでも表記してみてはいかがでしょうか? 例えば山陰にいたD51751はかなり大きな継ぎ足しデフを付けていました、また高山区のC58124は標準デフスタイルなのにデフはやけに大きなもので、写真のキャプションには「継ぎ足しデフ」となっていました。排煙効果を狙って試行錯誤された時代にはもっと多くの変形デフもあったようですが、どのあたりまで対象を広げるかは難しいですね。資料的価値として記録をまとめてみたい気もしますが・・・。

C58200ですが、正面から見て左側の欠き取りの他に、右側もわずかですが欠き取られていたような気がするのですが、管理人様ほか現車を見ている方の写真ではどうでしょうか?

[No.1406] デフ話 いくつか  投稿者:831列車  2002-02-05 (火)  21:52

 

「切り取り&変形」をセレクトしているうちにいくつか気付いた事です。
C58200の変形デフ
二俣時代の片方のみ欠き取りが紹介されていますが、高山区時代の写真にどうみても両方とも欠き取られているように見えるものがあるのです。印刷の加減か?見間違いか?はたまた一回は本当に左右とも変形デフだったのか。(ファン誌77号 67ー11 の撮影地ガイドです)
生涯もっともデフを取り替えたカマは?
8620や9600のように元々はデフなしのものはデフ付きになって一回とは数えないとすれば、58654は復活の際の標準Kー7装備を加えても2回です。D5195は製造時の標準→長工式→北海道型標準(保存時に変更?)で3回、D51187も標準→後藤式→標準(保存時に変更?)です。じゃあ、現役時に3回以上異なった形式のデフを装備したカマは? というと、例えばD51727があります。誕生時の標準(多分)→後藤式→山陰にいたのに何故か前部切り詰めの北海道型を装備・・・。全部調べた訳ではありませんので、他にもこんな機関車がいるかもしれませんね。
すべてのデフが出会う場所は?
切り取りデフ機の配置や年度などによって限定されますが、4工場すべてのデフ装備機がひとつのフレームに入るようチャンスはあったのでしょうか? 鹿児島のC61の動向ではそれはなかったと思いますが、3工場となればいくつか考えられます。43年前後の鹿児島はどうでしょう? 門デフ機はいっぱいいましたし、C6113も健在、あとは長工式のC574が現役で鹿児島まで来る機会があったかどうか?です。
45年前後の山陰・益田駅。長門の小工式のD51706、浜田に後藤式のD51187、833、山陰筋にはまだ転属していないが、山口線管理所(津和野)に長工式の D51405が移動してきていました。したがって一日何度かはその接点である益田駅での3つのデフ装備機の出会いがあったかもしれません。新見にいた長工式のD51473に合わせて米子はどうかな?とも思いましたが、長門の運用ではD51706が米子に来る可能性は少なかったみたいなので無理としました。

もっとよく調べれば、他の答えもあるかもしれません。

 

[No.1383] デフベスト その3  投稿者:831列車  2002-02-02 (土)  09:57

 

D51編です
95(Nー2)信濃から北海道に渡ったカマ。1次型の切り取りデフ化は同機と62の2両だけで、どちらも信州から北海道に移動しているのは面白い。なお95は保存時には普通デフに再度変更されている。
*この2両ほか、渡道したカマのデフは切り取りのものでも前部を若干切り詰めているので、もし別形式を付けるのなら(Nー2h)h=北海道 とでもするといいのかもしれない。
135(Nー1)長工式の試作タイプを装備 D51では1両のみ 羽越本線で会ったカマ
187(Gー5)大宮工場製作D51の1号機も、山陰時代は変わった形の後藤デフを付けていた
272(Kー7)D51の門デフ装備機では唯一保存された貴重なカマ。最後の厚狭区時代に撮影したのも思い出で、なんと保存のため上京して大宮工場で整備を待つ姿も撮影した縁のある D51 世田谷区に保存
499(Gー3)独特の大型後藤デフに集煙装置と重油タンクなどなど・・、重装備スタイルが決まっていた関西の人気者
824(Nー2)信州を代表するスタイルを持ったD51、篠ノ井線のお別れ列車も牽引し、長野スタイルのまま諏訪湖畔に保存。
862(Nー2)こちらは木曽路の名物変形機、デフはもちろん、煙室前面上部切り欠き、台形の半カマボコドーム、長工式集煙装置&運転席換気装置などなど・・興味いっぱいの戦時型だった。
924(Kー9)日田彦山線で石灰石列車の先頭に立って頑張っていた「門司のD51」の1両。
1021(Kー7)&1022(Kー1)この連番の兄弟機は、ともに門司・鳥栖といった九州を代表する主要区で活躍し、晩年は1022が厚狭に移り、兄弟が関門海峡を挟んで門デフを輝かせていた。1022は美祢線での出会いが懐かしい。

以上、なんとか選出しました。やはりどうしても外せないものも入れると多くなってしまいました。佐々木様、すみません

[No.1380] お気に入り その2  投稿者:831列車  2002-02-02 (土)  00:21

 

もう少し厳選して頑張ってみました。多少未練があったものはナンバーだけ記しておいて、ノミネートは御随意にということにしました。
C58
33(Gー2)JNRマークと後藤デフ、北の大地での活躍は印象的(前装備機のC58385にも感謝)
115(Kー7幅広)大分のお召し整備クィンテットの代表として。
277(Kー7)115の仲間でもあるが、最後は志布志で九州路のC58の掉尾を飾った門デフ機として。
427(Kー7)ラストナンバーとともに、皆さんが抱く「幻のC63」をイメージさせる力がある。
C59 124(Kー9)1両のみ 廃車後は48695へとデフは移譲
C61 13(KGー1)唯一の鹿児島工場製とされることも貴重
C11
165(Kー7)お召し列車牽引で輝いたカマ 以前の持ち主は53号
254(Kー7)本州のファンにも門デフの美しさを味合わせてくれた会津への使者
284(Kー10)同機とC58105にしか装備されなかった「第3の標準型門デフ」を装備した。
D50 90(Kー7)、131(Nー2)、227(Nー1)
写真でしか知らないが、デゴマルの切り取りデフ機は代表ということで3機
D52 333(Kー9)1両のみ
D60
61(Kー7)形式中の唯一のデフ付き保存機
65(Kー7)筑豊で会ったカマの中で印象に残っている

D51・・・すみません「その3」にします。(やっぱり多いや)

 

[No.1375] 切り取りデフ機 ザ・ベスト その1  投稿者:831列車  2002-02-01 (金)  21:50

 

今回はちょっと長くなりますが御容赦を。なお「切り取り」デフ機を中心の選定としました。文中のデフ種別はK=小工式(門鉄デフ)、N=長工式、G=後工式、KG=鹿工式で、分類はF誌の関氏によるものです。
一応、形式別としました。

8620
48647(K-7)松浦線でのお召し牽引が光る。重連の次位機も門デフの28629だが、先頭車として選んだ。なお同機は人吉に転じて58654とともに九州最後のハチロクともなった。
58654(K-7幅広) 御存知の動態保存機。門デフ装備時にお召し牽引の実績もある。現役時代の独特の大きなデフは69600から譲り受けたもの。
9600
59647(Kー7)保存良好のキューロク。北九州の代表的スタイル
79602(Kー7)やはり外せない「最後の蒸機」
夕張鉄道28号機(元・49650) K-7に類似した自社製デフ

C50 58(K-7)デフに「波と千鳥」の装飾が付けられていた。なおデフ自体は同機廃車後、79668を経て別の9600の受け継がれている。

C51 274(Gー7)C51唯一の後藤デフ装備車

C55
11(Kー4)1両のみ 上部が可動する
13(Kー2)1両のみ 前方にやや傾斜
52(Kー6)1両のみ 最後まで活躍した門デフC55、田野での出会いが印象的
57(Kー7)九州最後のC55、筑豊・吉松での人気者で「麗機」の称号がふさわしいカマ

C57
11(Kー7)元・特急「かもめ」専用牽引機。「波頭にかもめの羽」の装飾は、今も残っていれば絶大な人気になったかも。
65(Kー5)1両のみ こちらも「かもめ」運転の際に独特の形の切り取りデフを装備。ドイツ風のスタイルは個性豊かだった。
117(Kー7)C57最後のお召し牽引機
130(Nー3)1両のみ 新潟〜近畿〜九州〜北海道とおそらく一番国内を移動した切り取りデフ
151(Kー3)「富士山に羽衣」の装飾が特徴
155(Kー1)昭和27年、小工式デフを最初に装備したカマとして貴重
175(Kー7)九州最後の「蒸機さよなら列車」の牽引機。やがり九州らしくC5557とともに2両とも門デフであった。
196(Kー9)戦後形C57の唯一の装備機。宮崎でよく会った。

*やはり長くなるので、この発表形式はどうかな?と思うので、C58以降はまた後程ということにいたします。

[No.1373] 3両の9600  投稿者:831列車  2002-02-01 (金)  12:12

 

isobe201様
御指摘ありがとうございました。確かに19680は熊本では緑ナンバーで活躍していました。そして同僚の仲間2両とともにほぼ同時期に北海道へ渡ったのでした。調べてみると昭和48年5月22日付で79602が倶知安へ、5/24付で69699が岩見沢一へ、5/26付で19680が小樽築港へ、それぞれ移動しています。

C6212つばめの件は、この板の話題がきっかけで記事になるのですか?だとしたら素晴しいことですね! isobe様始め、皆さんの協力が実を結ぶのですから、どんな記事になるか、そしてまた結果が楽しみです。

門デフの移譲をまとめた記事は見かけませんね。19680も新規取付ではなく移設の可能性が高いのですが・・・。同時期の工場入場やデフ装備車の廃車(必ずしも9600でなくともよい)から推定するしかないのですが、ちょっと難しいですかね。なお「お気に入り」のノミネートは今夜にでもする予定です。

 

[No.1370] ただいま選考中  投稿者:831列車  2002-01-31 (木)  21:30

 

「切り取り&変形デフ」のノミネートで、はたと考えてしまいました。当然今までの形式別お気に入りで選出されたカマも再度登場させるか、またとっておきのD51からも先行して選出するか、「デフのスタイルがこの1両だけ」とかの貴重さで外せないものや、1形式1両のものは必ず選ぶかなどなど、う〜ん迷ってしまう。自分の思い出で選んだものだけにしてしまうのも寂しいし、まあ深く考えずに選んでみましょう。

変形デフで、公式側(正面から見て右側)だけ欠き取りになっていたのはD51688やD51793などです。どちらも保存されているので現車でも確認できます。

[No.1359] お昼間に  投稿者:831列車  2002-01-29 (火)  12:12

 

失礼します。切り取りデフ話は結構あるのですが、またしても書き忘れがありましたあ。後藤デフ装備はC58・D51としましたが、C51にも装備車がありました。このレポートにも記載されていますが、切り取りデフ装備車や廃車後の譲渡など、確実に装備したカマの全ては把握されていないようで、改めて皆さんの資料など持ち寄って、リストなどができると面白いですね。「お気に入り」企画にも入った69642や、直方から北海道に渡った19680なども当時の記事には含まれていませんし、有名なC5833の後藤デフもまだC58385に装備されていたことになっています。

またF誌70ー5の読者の「C5783の門デフ握り棒」についての質問と関氏の答えもなかなか面白いものでした。氏の見解の他に私は83が名古屋に来る前に亀山に一時いた長工デフの130号(受け持ちは鷹取だったと思うが、名古屋にも当然顔を出していたでしょう)を見ていた名古屋の関係者も影響を受けたのではないかといま改めて考えてみました。

[No.1357] 新・門鉄デフ調査レポート  投稿者:831列車  2002-01-29 (火)  01:11

 

切り取りデフ調査のバイブル?ともいうべき鉄道ファン誌の「門鉄デフ調査レポート」(70年に連載)は私も良く活用しているのですが、それによれば、門鉄デフ(いわゆる小工式)を装備した形式は、八高様が述べられたほかに、C51とD52があります。D52は333号の1両のみ、またC6113はここでは唯一の鹿工式とされています。長工式はC57、D50、D51に、後藤式はC58、D51に装備されたとなっています。なお高森に保存のC12241が付けている門デフは保存後のもので、現役時にはC12の装備車はありませんでした。またもうひとつ「鹿工式」の切り取りデフがありました。北海道の夕張鉄道の9600(28号機)が門デフ風の切り取りデフを付けていましたが、これは本来のものではなく、28号も元国鉄機ではあるものの、現役時代に小倉工場にお世話になったわけではありません。実際は夕鉄の機関区の人たちが図面などを参照して独自に製作したものなのでした。というわけで、その製作した鹿ノ谷機関区の頭を取って「鹿」工式としたわけです。C6113の1両だけの南の鹿工デフ、28号1両だけの北海道の「鹿」式デフ、これまた面白い不思議です。

またひとつネタが出てしまいました。

[No.1353] レスつなぎ  投稿者:831列車  2002-01-28 (月)  22:29

 

またレスの中断を防ぐ?ためにやってきました。なので小ネタです。
切り取りデフの不思議 その1
C57の切り取りデフは小工式(門鉄デフ)と長工式を装備したものがありましたが、長野式は2両のみなのでともかくとして、門鉄デフのものはさすがに九州の地を離れたものは少なかったようです。その中で2両だけ九州から離れたものがあります。よく御存知の元・かもめ専用機の11と、名古屋へ移動した83号です。どちらも標準型のKー7タイプ(関 分類)を装備したまま本州へ移ってきたのですが、なぜかそれと数を合わせたかのように、本州からは2両のみの長工デフ装備のC57が九州へ移動しているのです。ともに新潟地区で活躍した(この板でも話題となった)4号と130号です。130は亀山を経ての移動ですが、ともに大分や人吉といった南九州で活躍しました。偶然とはいえ、門デフ2両と長工デフ2両の交換になったみたいで面白い事実といえましょう。

ネタ切れの時はこういった話題もちょくちょく出していきたいと思います。(いつまでストックつづくかな?)

 

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