[No.2338] シ・ゴ・ロ・ク・ナナ両 投稿者:831列車  2002-05-31 (金)  23:04

あちらを立てればこちらが立たず・・、話題に事欠かないC56一族からはちょっとオーバーの7両のノミネートといたしました。
C5691 国内に残った一族の長として頑張った。正面形式入りプレートも残し、最後は弟・92とともに「お召し」牽引の金的を射止めた。栗野の築堤で長閑に貨物を牽いてきた姿を思い出す。保存後の解体は残念・・・。
C56111 木次時代は準急「ちどり」の牽引機としてデフにマークを付けていたゾロ目ナンバー機だが、やっぱり飯山時代のつらら避けを装備した姿がお馴染みです。幸にも形式入りプレート時代に会えて良かった。
C56124 誰もが知っている七尾の形式入り赤ナンバー機。穴水・能登中島などが出会いの地。最後は木曽に移動して、「中部地区最後のC56」の1両にもなりました。七尾の「形式入りカルテット」の代表として選出。
C56126 何故か山陰で会った集煙装置付きの変わり者。貴重な装備を最後まで保った1両として外せない。
C56144 中込のカルテットは4両すべて思い出のあるカマばかりなのですが、まずは144。機関区で憩っている姿が印象的。晩年、最後の御勤めとして、お召し仕業を担った九州の3両(91・92・135)の助っ人として長駆中込より馳せ参じて、立派に仕事をこなし、再び信州に帰ってゆかりの小諸に保存された、という人の世にもあるような人情話が胸を打った。
C56149 多分、初めて撮影したC56だと思う。「八ヶ岳スケート号」の牽引で、寒い朝から一生懸命シャッターをきった思い出のカマ。
C56150 何といっても固有のナンバー機として中込駅の「ディスカバー・ジャパン」のスタンプの図柄に登場した唯一のC56。それだけC56と小海線がきってもきれない関係にあったことを示すエピソー
ドのひとつである。もちろん多くの出合いがありました。最後は山陰・浜田にいました。

*これで7両、七尾&中込の残りのナンバーも惜しかったです。復活運転の94や、もちろん44や160もあがりましたが、ここは敢えて話題と思い出にこだわりました
[No.2308] 次は 投稿者:831列車  2002-05-29 (水)  00:31

8620ですか?えっ、まだスタートしていない。では検討に入ります。
管理人様
ピク誌68ー6号ありましたか。その号の「動態保存機決定」の記事中にD511の変な前照灯の写真があるはずです。残念ながらそれについてのコメントなどがあるわけではありませんが・・・

 

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