皆様よりのコメント |
|
名前:佐々木
日付:1月8日(土) 23時21分 |
今回はお正月と言う事もあって、九州と和歌山の2タイトルをオープンします。九州は5日目にして九州の内地まで入り込み、肥薩線界隈で重装備のD51を中心に撮影。和歌山の方は、和歌山の名機C576などが、普段着の姿で撮影されています。動画は鉄道100年記念(1972年10月)の梅小路蒸気機関車館風景です。お暇なときにどうぞお越しください。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
|
|
|
|
名前:田駄雄作
日付:1月9日(日) 7時38分 |
佐々木さん、このたびは9600
DEPOTで
お世話になりました.おかげさまで順調に増殖中です.また時空を超えたニアミスハプニングなど、このような企画でなかったらまず発覚しなかったはず、面白いものですね.(判らない方は弊サイト9600
DEPOTの「69646」をご覧下さい)
ほんとありがとうございます.一昨日は佐々木さんにも私にも思いで深い、もと大宮機関区の9687にも35年ぶりに対面してきました.きちんと屋根の下で意外と綺麗に保存されていました.
新春2題、拝見しました.
和歌山線は1972年の2月ということでDL化直前ですね.私が行ったのは1971年の11月と12月ですからほぼ同時期です.朝には確か2〜3本の長編成の客車通勤列車が和歌山目指して走っていましたからC57の活躍が毎日見られたわけです.この烏帽子型の集煙装置は和歌山線のC57には似合っていると思います.さすがに歴史の里だけあって長閑な中にも格調の高い日本の景色を感じました.打田駅にもクルマを乗り入れて撮影した記憶があります.いやー懐かしいです.
肥薩線界隈、この辺は悔しい場所です.一度目は万博の年ですから佐々木さんの行かれた前年ですが、広島から九州へ向かう夕方の急行が台風のために途中ストップして夜明かしとなってしまったため、門司からの夜行に乗れず八代以南に行けなかった.2回目は1972年にクルマで行ったのですが九重山の山中で正面衝突!クルマの修理で足止めを喰っている間に肥薩線がこれまた台風で不通になってしまった.ということがありました.矢岳越えシーンや人吉、吉松両機関区が撮影できなかったのは今思っても・・・・・・・・・・です.
最初のC5749の交換シーン、バックの山は霧島連山の一つのようですから確信はありませんが吉都線ではないでしょうか?C5749も確か宮崎区だったような.霧島西口駅は確かに現在の霧島温泉駅で2003.3.15に改称されています.後の機関車はC6113で間〜違いない!です.ただC5749のカットと連続ネガだとすればC5749も肥薩線かな?(記憶では肥薩線吉松以南はD51が多かったと思うんですが)
しかし吉松機関区や界隈は賑やかな路線でしたね.敦賀式集煙装置の迫力やC55の優雅な門デフが印象的です.きちっと各線で捉えられているところを見るとダイヤを把握して移動されていたみたいですね.
私の家から一番近い保存機D51453の現役時の姿にも感激です.
開館当時の梅小路、この頃はデッキに乗ったり連結器をいじっても良かったんですね.子供達が楽しそうです.個人的には自由な方が良いと思いますが、安全面や事故の時の責任問題などを考えると禁止も仕方ないですかね.
http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/
|
|
|
|
名前:831列車
日付:1月9日(日) 14時51分 |
佐々木様
遅くなりましたがおめでとうございます。
新春第1弾ということで肥薩線界隈と和歌山線ですね。「矢岳越え」というイメージからすると意外な一面のカットがなかなかです。汽車の里ともいえる「よりまつ」の風情はいいですね。D51170が山から下りてきたカットなどは集煙装置がなければどこかわからない感じでした。御友人のカットもあまり発表されないところばかりで貴重ですね。C58355はプレートの汚れ?からして赤ナンバーでしょうか?
佐々木さんが撮影していた昭和46年3月28日、この日私は羽越本線でD51などと会っていました。たぶんこの前後にはTADAさんもこのああたりに来ていたようです。34年の時を経てあちこちでシャッターを押していた「汽車好き少年」たちの行動が蘇るようです。
では今年もよろしくお願いいたします。
※弊サイトでは御提供いただいた「保存動輪」をいくつかアップいたしました。
http://d51155.web.infoseek.co.jp/
|
|
|
|
名前:831列車
日付:1月9日(日) 14時53分 |
|
|
|
名前:TADA
日付:1月9日(日) 15時28分 |
拝見しました、和歌山線の何気ないローカル駅のひとときの様子がいいですね。
C58やC57が行き交っていた風景、関東者には房総線がオーバーラップします。急行「大和」も複雑な併結の過程をもった列車でしたね。
吉松は佐々木さん訪問の2年後に行きましたが、すでに矢岳越えの重装備D51はなく、クラもガランとしていました。
田駄さんも書かれていますが、C61の留置は霧島西口で間違いないと思います。ここと真幸に留置さてれいることは当時のRJ誌にも紹介されていました。
D511151はその後山を降りて南延岡に移りました。
田駄さんのD51’Boxで拙作を佐々木さんの作品と並べていただいています。
ムービーは残念ながら拝見できません、どうもTokTokの方の問題のようですが・・・(今回だけでなく、いままでにもTokTokサーバーが開かなかったことはありましたので)
http://www.photoland-aris.com/kisya/
|
|
|
|
名前:C57BEST
日付:1月9日(日) 19時3分 |
佐々木様、本年もよろしくお願いします。
HP拝見しました。前にも書きましたが、このHPの写真を見るたびに夢中になってSLを追いかけた日々が鮮やかによみがえってきます。私もこの時期に南九州に出掛けていましたのでもしかしたら佐々木さんとニアミスがあったかもしれませんね。当時は九州管内で鹿児島、日豊、長崎本線に夜行列車があって、これを中心に日程を組むと誰もが同じような行程になり、夜行列車内でどこかで見た連中とよく一緒になったものです。現在では考えられない事ですが。これからもHP期待しています。
http://homepage3.nifty.com/c57best/
|
|
|
|
名前:isobe201
日付:1月9日(日) 23時9分 |
吉松は四方から線路が集まるので、にぎやかな顔ぶれが揃っていますね。どうしても重装備D51に注目が集まるのですが、私としては門デフのC55がイチオシです。C5534の発車シーンが格好いいです。
あそBoyが走り出して、合間に肥薩線でも運転された折、ここを訪問しましたが、隼人→吉松の肥薩線も勾配が多く大変魅力的なロケーションでしたね。
和歌山線は撮影ガイドに紹介される事も少なく、どの写真も新鮮に感じます。地元の駅なのでしょうか、普段着の姿・目線がとても好印象です。
梅小路のムービーも拝見しました。弊サイトにコメントしてしまったのですが、開館当初でも、一時期カマたちが扇形庫の中で頭を引っ込めていたんですね!これは新発見でした。
http://homepage3.nifty.com/isobe201/index.html
|
|
|
|
名前:吉野富雄@直江津
日付:1月12日(水) 23時5分 |
こんばんは。遅ればせながら新作拝見しました。
昭和46年当時の南九州は、まだ蒸気機関車が多数活躍していたことを伺わせる画像群ですね。C5534やC5749など形式入りプレートをつけた機関車が活躍している姿は、蒸機全盛時を彷彿とさせます。その一方で、霧島西口(現 霧島温泉)に留置されているC61が生きている蒸機たちとは対照的です。鹿児島工場式の切り取りデフ装備機はC6113号機で間違いないと思います(というより、同機は唯一切り取りデフを装備したC61でした)。
和歌山線は、地元在住の方ならではの生活密着型とでもいうべき画像でしょうか。あまり目立たなかった路線だけに、このような記録は貴重だと思います。
梅小路蒸気機関車館開館当時の動画を見ますと、SLブームの最中だったということもあるのでしょうが、活気に満ちふれていますね。当時は自由に機関車に登ることができたようで、今よりももっと身近に機関車にふれることができたようです。確か館内でプレートの拓本採取セットも販売されていたような記憶があります。
現在のように機関車デッキに登れなくなったのは、子どもの転落事故でもあったからでしょうか。いずれにしても残念な話です。
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/
|
|
|