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第52回+第53回

2005/1/8〜

 

 

 

高校卒業の春、SLを撮影しに九州に出掛けた。第5日目は肥薩線界隈。

ネガの順序ではいきなり肥薩線界隈になっているが、

この記録も記憶もどうも曖昧で自信が無い。

 

第53回

2005/1/8〜

 

No.2

 

私の旧友の唐崎氏(和歌山在住)が、1971年〜1972年の蒸気機関車の画像を送ってくれました。

シリーズ2回目は、1972年2月の和歌山界隈の様子を紹介します。

 

皆様よりのコメント

178.更新のお知らせ 返信  引用 
名前:佐々木    日付:1月8日(土) 23時21分
 今回はお正月と言う事もあって、九州と和歌山の2タイトルをオープンします。九州は5日目にして九州の内地まで入り込み、肥薩線界隈で重装備のD51を中心に撮影。和歌山の方は、和歌山の名機C576などが、普段着の姿で撮影されています。動画は鉄道100年記念(1972年10月)の梅小路蒸気機関車館風景です。お暇なときにどうぞお越しください。

http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
179.拝見しました 返信  引用 
名前:田駄雄作    日付:1月9日(日) 7時38分
佐々木さん、このたびは9600 DEPOTで お世話になりました.おかげさまで順調に増殖中です.また時空を超えたニアミスハプニングなど、このような企画でなかったらまず発覚しなかったはず、面白いものですね.(判らない方は弊サイト9600 DEPOTの「69646」をご覧下さい) ほんとありがとうございます.一昨日は佐々木さんにも私にも思いで深い、もと大宮機関区の9687にも35年ぶりに対面してきました.きちんと屋根の下で意外と綺麗に保存されていました.

新春2題、拝見しました.
和歌山線は1972年の2月ということでDL化直前ですね.私が行ったのは1971年の11月と12月ですからほぼ同時期です.朝には確か2〜3本の長編成の客車通勤列車が和歌山目指して走っていましたからC57の活躍が毎日見られたわけです.この烏帽子型の集煙装置は和歌山線のC57には似合っていると思います.さすがに歴史の里だけあって長閑な中にも格調の高い日本の景色を感じました.打田駅にもクルマを乗り入れて撮影した記憶があります.いやー懐かしいです.

肥薩線界隈、この辺は悔しい場所です.一度目は万博の年ですから佐々木さんの行かれた前年ですが、広島から九州へ向かう夕方の急行が台風のために途中ストップして夜明かしとなってしまったため、門司からの夜行に乗れず八代以南に行けなかった.2回目は1972年にクルマで行ったのですが九重山の山中で正面衝突!クルマの修理で足止めを喰っている間に肥薩線がこれまた台風で不通になってしまった.ということがありました.矢岳越えシーンや人吉、吉松両機関区が撮影できなかったのは今思っても・・・・・・・・・・です.

最初のC5749の交換シーン、バックの山は霧島連山の一つのようですから確信はありませんが吉都線ではないでしょうか?C5749も確か宮崎区だったような.霧島西口駅は確かに現在の霧島温泉駅で2003.3.15に改称されています.後の機関車はC6113で間〜違いない!です.ただC5749のカットと連続ネガだとすればC5749も肥薩線かな?(記憶では肥薩線吉松以南はD51が多かったと思うんですが)
しかし吉松機関区や界隈は賑やかな路線でしたね.敦賀式集煙装置の迫力やC55の優雅な門デフが印象的です.きちっと各線で捉えられているところを見るとダイヤを把握して移動されていたみたいですね.
私の家から一番近い保存機D51453の現役時の姿にも感激です.

開館当時の梅小路、この頃はデッキに乗ったり連結器をいじっても良かったんですね.子供達が楽しそうです.個人的には自由な方が良いと思いますが、安全面や事故の時の責任問題などを考えると禁止も仕方ないですかね.

http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/

 


180.Re: 拝見しました
名前:佐々木    日付:1月9日(日) 14時27分
>また時空を超えたニアミスハプニングなど、・・・
 これには本当に驚きました。5番線さんはあの拓本の少年のことはご存じないでしょうかね?
>9687にも35年ぶりに対面してきました.きちんと屋根の下で意外と綺麗に保存されていました.
 TADAさんのサイトのC11254の保存を見ても嬉しかったように、現役時代を知る機関車が大切に保存されていると言うのは本当に嬉しいものですね。反面、野ざらしで崩壊寸前のものは見るに耐えませんが。
>新春2題、拝見しました.
 ありがとうございます。
>打田駅にもクルマを乗り入れて撮影した記憶があります.いやー懐かしいです.
 そうでしたか。この駅は撮影者唐崎氏の最寄り駅のようで、このコメントを見て喜ぶ事と思います。
>肥薩線界隈、この辺は悔しい場所です.・・・
 いつも悔しがられていますが、こういう理由をお伺いしてはじめて納得しました。事故はともかくとも、台風がらみとは随分運が付いていませんでしたね。
>最初のC5749の交換シーン、・・・
 ネガ番号を確認しますと、最初の4枚は掲示順に連番でしたので霧島西口駅で間違いないと思います。
>霧島西口駅は確かに現在の霧島温泉駅で2003.3.15に改称されています.
 やはりそうだったのですか。ご教示ありがとうございます。
>後の機関車はC6113で間〜違いない!です.
 やはりそうですよね。それにしても、前年の元気な姿を偶然捉えて、その丁度一年後またもや偶然にこういう姿で私の目に飛び込むとは、何か因縁のようなものを感じてしまいますね。当時は機関車の機番までには思い入れがほとんどなく、C6113のデフについての謂れなども全く知りませんでした。こんなことや、96デポでのニアミスも含めて、そんな画像が30年近くの時を経て露わになって、こんな事が判ってくることにも何か目に見えないものに操られているかのような気にもなりますね。
>ダイヤを把握して移動されていたみたいですね.
 自分の移動する列車と、市販の時刻表に載っている列車だけしか押さえていなかったと思いますよ。今から思うととてもラッキーだったのでしょう。
>私の家から一番近い保存機D51453の現役時の姿にも感激です.
 この機関車は、D51全兄弟データによると東北を経て吉松にたどり着いているのですね。ちょっとばかり故郷に近いということでそちらに保存されたのでしょうか?
>子供達が楽しそうです.個人的には自由な方が良いと思いますが、・・・
 どうなんでしょうか?この辺の論議も色々あるでしょうが、今の子供たちには、遊ぶ事にも選択肢がたくさんあり(すぎて?)、この画像のような「子供達が楽しそう」な状態に戻る事は難しいでしょうね。
 ご丁寧な書き込みをどうもありがとうございました。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
181.新春第1弾 返信  引用 
名前:831列車    日付:1月9日(日) 14時51分
佐々木様
遅くなりましたがおめでとうございます。

新春第1弾ということで肥薩線界隈と和歌山線ですね。「矢岳越え」というイメージからすると意外な一面のカットがなかなかです。汽車の里ともいえる「よりまつ」の風情はいいですね。D51170が山から下りてきたカットなどは集煙装置がなければどこかわからない感じでした。御友人のカットもあまり発表されないところばかりで貴重ですね。C58355はプレートの汚れ?からして赤ナンバーでしょうか?

佐々木さんが撮影していた昭和46年3月28日、この日私は羽越本線でD51などと会っていました。たぶんこの前後にはTADAさんもこのああたりに来ていたようです。34年の時を経てあちこちでシャッターを押していた「汽車好き少年」たちの行動が蘇るようです。

では今年もよろしくお願いいたします。

※弊サイトでは御提供いただいた「保存動輪」をいくつかアップいたしました。

http://d51155.web.infoseek.co.jp/

 


185.Re: 新春第1弾
名前:佐々木    日付:1月9日(日) 22時4分
こちらこそご挨拶が遅れました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
> 「矢岳越え」というイメージからすると意外な・・・
 今回はさわりだけで、本格的な矢岳越えは次回と言う事で。
>汽車の里ともいえる「よしまつ」の風情はいいですね。
 山里の鉄道の要衝で、アチコチからSLが来たり、行ったりと実に楽しい所でした。でも、直方のそれとはまた違った雰囲気でしたね。
>御友人のカットもあまり発表されない・・・
 彼も私と同様、学校の合間にカメラをぶら下げて近所を追いかけていたようで、本当に日常生活の中の機関車と言う感じですね。
>C58355はプレートの汚れ?からして赤ナンバーでしょうか?
 はてさて、そう思ってみるとそう見えなくもないですね。また彼に確認しておきましょう。
> この日私は羽越本線でD51などと会っていました。・・・
 田駄さんはこの日あたりは北海道でC62を追いかけられていたようですよ。5番線さんとは、若松で異常接近していたようですし・・・
>> ※弊サイトでは御提供いただいた「保存動輪」をいくつかアップいたしました。
 ちょくちょく拝見させていただいてますが、益々充実で何よりです。わが町草津の小学校のように、人知れずひっそりとしたものもたくさんあるのでしょうね。あの多度津駅前にある目立つ動輪でも、駅の方に確認しても「何の動輪か判らない」と言われる始末でしたね。

#今、背後で”鉄道員”をやっています。先ほどから汽車の汽笛など
#を聞きながら書いていますが、本当にSLは良いですね。それにして
#も映画冒頭のD51498は良い煙を吐いていましたね。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
182.失礼しました 返信  引用 
名前:831列車    日付:1月9日(日) 14時53分
「よりまつ」とは・・・、もちろん「よしまつ」です。漢字で書くより風情があると思ったのですが間違えてはなんにもなりませんね。
http://d51155.web.infoseek.co.jp/
183.和歌山線・吉松 返信  引用 
名前:TADA    日付:1月9日(日) 15時28分
拝見しました、和歌山線の何気ないローカル駅のひとときの様子がいいですね。
C58やC57が行き交っていた風景、関東者には房総線がオーバーラップします。急行「大和」も複雑な併結の過程をもった列車でしたね。
吉松は佐々木さん訪問の2年後に行きましたが、すでに矢岳越えの重装備D51はなく、クラもガランとしていました。
田駄さんも書かれていますが、C61の留置は霧島西口で間違いないと思います。ここと真幸に留置さてれいることは当時のRJ誌にも紹介されていました。
D511151はその後山を降りて南延岡に移りました。
田駄さんのD51’Boxで拙作を佐々木さんの作品と並べていただいています。

ムービーは残念ながら拝見できません、どうもTokTokの方の問題のようですが・・・(今回だけでなく、いままでにもTokTokサーバーが開かなかったことはありましたので)
http://www.photoland-aris.com/kisya/

 


186.Re: 和歌山線・吉松
名前:佐々木    日付:1月9日(日) 23時0分
> 和歌山線の何気ないローカル駅のひとときの様子がいいですね。
 彼も私と同じ”ご近所カメラマン”だったようで、それゆえの日常に溶け込んだ、普段着姿のSLたちと言う表情なんでしょうね。
> 房総線がオーバーラップします。
 上手く言い当てますね。地理的にも、雰囲気的にも私も丁度そういう感じだと思います。
> C61の留置は霧島西口で間違いないと思います。ここと真幸に・・
 やはりそうでしたか。また一つ謎が解けてありがたい事です。次回アップに真幸の留置風景があります。
> D511151はその後山を降りて南延岡に移りました。
 再確認してみました。集煙機の有無で随分と風貌が変わりますね。よく見ると、煙室ハンドルも付け替えられていますので、それも風貌が変わる一因ですね。
> ムービーは残念ながら拝見できません、・・・
 そうでしたか。見られるものもあったのですよね。それならまたお暇なときにどうぞご覧ください。子供たちで大賑わいの梅小路風景画が撮影されています。
#今、”鉄道員”の映画をTVでやってます。幌舞駅の部屋にD51563の
#プレートが飾ってあり、広末涼子が欲しがってますね。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
184.今年もよろしく。 返信  引用 
名前:C57BEST    日付:1月9日(日) 19時3分
佐々木様、本年もよろしくお願いします。
HP拝見しました。前にも書きましたが、このHPの写真を見るたびに夢中になってSLを追いかけた日々が鮮やかによみがえってきます。私もこの時期に南九州に出掛けていましたのでもしかしたら佐々木さんとニアミスがあったかもしれませんね。当時は九州管内で鹿児島、日豊、長崎本線に夜行列車があって、これを中心に日程を組むと誰もが同じような行程になり、夜行列車内でどこかで見た連中とよく一緒になったものです。現在では考えられない事ですが。これからもHP期待しています。
http://homepage3.nifty.com/c57best/

 


188.Re: 今年もよろしく。
名前:佐々木    日付:1月9日(日) 23時14分
 いつもありがとうございます。こちらこそ本年もどうぞよろしくお願いします。
> 私もこの時期に南九州に出掛けていましたので・・・
 皆さんの行動を見ますと、831列車さん、TADAさんは東北、田駄さんは北海道、5番線さん、C57BESTさん、私は九州といったところですね。皆さん、行く先は違えど、思いは皆同じだったようですね。
>ニアミスがあったかもしれませんね。・・・
 きっと、どこかでお会いしているのでしょうね。そんな気がします。
>これを中心に日程を組むと誰もが同じような行程になり、・・
 そうでしたか。でも私は九州内ではあまり夜行列車に乗らず、各地のお寺に転がり込んで泊めてもらってましたのでちょっと違うかもです。

#今、映画の”鉄道員”が終わりました。鉄道と言うのは色々な情景
#によく似合いますね。この時間中ずっと御礼のレスを書いてました
#のでストーリーはイマイチよくわかりませんでしたが・・・
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
187.新春第一弾拝見 返信  引用 
名前:isobe201    日付:1月9日(日) 23時9分
吉松は四方から線路が集まるので、にぎやかな顔ぶれが揃っていますね。どうしても重装備D51に注目が集まるのですが、私としては門デフのC55がイチオシです。C5534の発車シーンが格好いいです。
あそBoyが走り出して、合間に肥薩線でも運転された折、ここを訪問しましたが、隼人→吉松の肥薩線も勾配が多く大変魅力的なロケーションでしたね。
和歌山線は撮影ガイドに紹介される事も少なく、どの写真も新鮮に感じます。地元の駅なのでしょうか、普段着の姿・目線がとても好印象です。
梅小路のムービーも拝見しました。弊サイトにコメントしてしまったのですが、開館当初でも、一時期カマたちが扇形庫の中で頭を引っ込めていたんですね!これは新発見でした。
http://homepage3.nifty.com/isobe201/index.html

 


189.Re: 新春第一弾拝見
名前:佐々木    日付:1月10日(月) 0時4分
> 吉松は四方から線路が集まるので、・・・
 そうですね。私が訪れた当時には線区くらいは知っていましたが、どれがどの線区の列車なのか、最近になって皆さんに教えてもらいながらやっと判ってきたという始末です。
>私としては門デフのC55がイチオシです。
 それもそうですね。私も”門デフのC55”派ですが、私の場合イメージは宮崎ですね。この1年前に宮崎で初めて出会ったC5533のイメージが鮮烈だったからでしょう。↓

>C5534の発車シーンが格好いいです。
 ありがとうございます。これもこの旅でのお気に入りの一枚です。そのお陰で自分で何枚も現像したものでネガにもキズが多くて困ったものです。
> 隼人→吉松の肥薩線も勾配が多く大変魅力的なロケーションでしたね。
 そうでしたか。でも私は駅から十分程度で歩ける範囲でしか動いていないので、そういうロケーションからの撮影はできていません。残念!
> 和歌山線は・・どの写真も新鮮に感じます。
 唐崎氏の最寄の駅のようです。この駅からSL列車に揺られて通学していたようです。私と同じく、カメラをぶら下げて近所を自転車でウロウロ・・と言うパターンではないでしょうか?はっきり言って、中には絶好のタイミングを上手くはずして、「早すぎ・遅すぎ」の画像もいくつかありますが(唐崎君ゴメン)、それがそれでまた格別のアジを出しているのではないでしょうか。
> 開館当初でも、一時期カマたちが扇形庫の中で頭を引っ込めて・・・
 これは私も貴掲示板にコメントをされているのを知っていましたので、良いタイミングの公開だったのでは・・・と密かに思っていました。
#さきほどTVで映画”鉄道員”が終わりましたが、最初の方のD51498は
#見事な煙で走っていましたね。掲示板へのフォローを書きながら、
#背中で見ていましたが、ストーリーよりもその情景だけで胸が熱く
#なりました。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
190.新作拝見しました 返信  引用 
名前:吉野富雄@直江津    日付:1月12日(水) 23時5分
 こんばんは。遅ればせながら新作拝見しました。
 昭和46年当時の南九州は、まだ蒸気機関車が多数活躍していたことを伺わせる画像群ですね。C5534やC5749など形式入りプレートをつけた機関車が活躍している姿は、蒸機全盛時を彷彿とさせます。その一方で、霧島西口(現 霧島温泉)に留置されているC61が生きている蒸機たちとは対照的です。鹿児島工場式の切り取りデフ装備機はC6113号機で間違いないと思います(というより、同機は唯一切り取りデフを装備したC61でした)。  
 和歌山線は、地元在住の方ならではの生活密着型とでもいうべき画像でしょうか。あまり目立たなかった路線だけに、このような記録は貴重だと思います。
 梅小路蒸気機関車館開館当時の動画を見ますと、SLブームの最中だったということもあるのでしょうが、活気に満ちふれていますね。当時は自由に機関車に登ることができたようで、今よりももっと身近に機関車にふれることができたようです。確か館内でプレートの拓本採取セットも販売されていたような記憶があります。
 現在のように機関車デッキに登れなくなったのは、子どもの転落事故でもあったからでしょうか。いずれにしても残念な話です。

http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/

 


191.Re: 新作拝見しました
名前:佐々木    日付:1月13日(木) 21時35分
 いつもありがとうございます。
> 昭和46年当時の南九州は、まだ蒸気機関車が多数活躍・・・
 そうですね、筑豊界隈しかり、吉松近辺しかり、まだまだウホウホ状態でした。
>その一方で、霧島西口(現 霧島温泉)に留置されているC61・・・
 当時でも、もう幾ばくもないSLの余生をふと思い起こされる光景で、なんともいえない気持で撮影していた事を思い出します。
>鹿児島工場式の切り取りデフ装備機はC6113号機で間違いない・・・
 やはりそうですか。丁度一年後に違った姿でめぐり逢ったことが、30年経った今判ったことに何か因縁めいたものを感じます。画像たちを公開していなかったら、こんな事実も知らないままだったことでしょう。
>和歌山線は、地元在住の方ならではの生活密着型とでも・・・
 皆さんにそう仰っていただき、公開させていただいた甲斐があると言うものです。風光明媚な撮影スポットで綺麗に撮影された画像も良いですが、たまにはこういう画像もホッとして良いでしょう。
>SLブームの最中だったということもあるのでしょうが、活気に満ちあふれて・・・
 活気を取り戻して欲しい気もしますが、あまり無理して妙なイベントもいただけないと思います。何とかもう少し持ちこたえて年月を経て、京都に多くある神社仏閣のような存在になれれば良いのではないでしょうか。その頃には入場料ではなく拝観料になっているかもですね。
>確か館内でプレートの拓本採取セットも販売されていたような記憶があります。
 そうでしたか。それは知りませんでした。
> 現在のように機関車デッキに登れなくなったのは、子どもの転落事故でも・・・
 ちょっと話は反れますが、高い所に登れば転落もあるし、怪我もするのは当たり前の事ですよね。子供は怪我をしながら大きくなるもので、致命傷になるような怪我にならないように教えるのは親や周囲に居る年長者だと思います。それを「管理者の責任だ」とか、何かこの頃から世間全体が人間に対して過保護になってきているように思うのは私だけでしょうか?
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/

 

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