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第48回

2004/10/22〜

 

(前編)

 

高校卒業の春、SLを撮影しに九州に出掛けた。第3弾は直方、筑豊近辺。右を見ても、左を見ても「カマ、カマ、カマ」。

86、96、D50、D60、C11、C55等々、形式も実に多彩。当時のSLファンにとっては

「ヨダレがタラタラ」。とにかく目に入るカマを”撮るわ撮るわ”で、カマ画像のオンパレード

になってしまった。この日の画像があまりに多いので、前編、後編の2部構成とさせていただく。

 

皆様よりのコメント

110.九州撮影旅行3日目です。 返信  引用 
名前:佐々木    日付:10月22日(金) 0時27分
 少しばかり多忙により、久しぶりのアップになりました。四国の蒸気機関車紹介のため二回お休みしていました九州シリーズの第3弾です。3日目は直方・筑豊界隈なんですが、何せどちらを向いてもSLのオンパレードで、その分画像も山ほどあり前編・後編の2部に分けて、今回はその前編をご紹介します。直方駅構内での画像ばかりですが、SL花盛りだった当時の様子を垣間見ていただけるものだと思います。動画の方は、831列車さんの「C11 70年の生涯を語る」最終話に遅ればせながらも協賛して、C11200による「SL最後の御召列車」をご紹介します。これは橋爪氏が九州をご旅行の際に偶然に捉えられたようで、短いものですが、大淀川鉄橋を国旗をたなびかせながら誇らしげに走り抜ける姿を克明に撮影されています。お暇なときにどうぞお越しください。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
111.煙だらけの桃源郷 返信  引用 
名前:くまさん    日付:10月22日(金) 7時19分
佐々木さん、ご案内ありがとうございました。
直方は、駅も機関区もいたるところが機関車だらけという、まさに桃源郷のような場所でした。私も同じころに訪問していますし、関西在住というのも同じでしたので、あこがれの機関車に出会えてワクワクしたという佐々木さんの気持ちがよく分かります。限られた時間と限られた予算、特にフィルムは当時、貴重品でしたので、本当はもっとたくさんいろいろな角度から撮影したかったのに、泣く泣く1カットくらいであきらめたこともありました。旅の終わりの方になると、このカマはこの間撮影したからいいわ、などと、今思えばとんでもないバチアタリなこともやっていました。「いつまでもあると思うな、カネとカマ」です。

http://kumahiroki.hp.infoseek.co.jp/index.html

 


112.Re: 煙だらけの桃源郷
名前:佐々木    日付:10月22日(金) 19時38分
早速のご来訪、どうもありがとうございます。「煙だらけの桃源郷」とは上手く言い当てており、我々にとってはまさにその通りです。嬉々としてカメラを振り回していた事を昨日のことのように思い出します。フィルムは貴重でしたね。特にカラーは大変で、特に狙いたい所だけ撮影して、終われば途中でもフィルム引き出し部分を残すようにして巻き上げ、モノクロに入れ替えてなんてことまでやってましたね。フィルムは何とかクリアしても、帰ってからの現像がまた一苦労でした。この時のネガはカラーも含めて30本程度でしたが、現像したものとなると、とりあえずのベタ焼きと数枚が残っている程度でした。今回スキャンしながら、「なんとこんな画像もあったのか!」と驚きの連続で、何か凄く得したような気分で、嬉々としてスキャンしていました。いや〜、本当にパソコン(スキャナ)、インターネットさまさまです。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/


116.Re: 煙だらけの桃源郷
名前:くまさん    日付:10月23日(土) 9時36分
私、フィルムの詰め替えはやっていませんが、同世代ですので気持ち的には十分理解できます。佐々木さん同様、私も撮影カットをプリントでは残しておらず、ネガとベタ焼きでしか保存していません。ただ、ベタ焼きはすべてファイルに保存し、ネガとベタ焼きは番号をつけて管理していますので、今でも比較的検索・利用しやすい状況にあります。鉄道から離れていた時代に何度か転宅したときも、なぜかこれらのネガとベタ焼きは持ち歩いていましたので、こんにち、拙作をご覧いただけるのもそうした理由によります。30年後に再び陽の目を見せことができるようになるとは、お互い撮影当時には想像もしていませんでしたよね。
http://kumahiroki.hp.infoseek.co.jp/index.html
113.のおがたの雀は汽車の煙ばすいよるけん、腹ん中まで真っ黒タイ 返信  引用 
名前:isobe201    日付:10月22日(金) 21時15分
かつて黒岩保美氏が直方駅の跨線橋で夢中になって蒸機を撮っていると、地元のおばあさんがこんな洒落た、自嘲気味の、それでいて地元への愛情を感じさせるような声をかけてきたそうです。
支線が多く、列車本数も多く、カマが多く、転車台が2つもあって、街全体が煤煙に包まれ黒っぽく汚れていたけれど、活気があった頃の直方が懐かしい。という描写もどこだかの小説に出ていました。
当時の様子が伝わる記録ですね。もしもお手持ちのネタがあれば、周辺の写真などもあわせてご紹介ください。
http://homepage3.nifty.com/isobe201/index.html

 


114.ムービーも拝見しました
名前:isobe201    日付:10月22日(金) 21時19分
お召しの記録はさすがに貴重ですね。逆光気味で黒くつぶれて見えるのがちょっと残念ですが、菊のご紋がきらりと光るのが印象的ですね。
http://homepage3.nifty.com/isobe201/index.html


117.Re: のおがたの雀は汽車の煙ばすいよるけん、腹ん中まで真っ黒タイ
名前:佐々木    日付:10月24日(日) 11時10分
>のおがたの雀は・・・
 この一節を見るに、まさしくあの日が蘇る想いです。少ない文字数で実に上手く表現された小粋な詩だと思います。
> お手持ちのネタがあれば、周辺の写真なども・・・
 う〜ん、残念っ!そのような画像はありません。田駄さんはよくそのような画像を捉えておられますが、当時の私はそんな余裕はなかったのでしょうね。
>お召しの記録はさすがに貴重ですね。
 過日橋爪さんのお宅で、部屋を暗くして白い布切れをぶら下げて8mm映写機でSL画像を見せていただいているとき、いきなり「九州へ新婚旅行に行ったときに、たまたま走っていた御召列車の画像がある」と仰って「是非見せてください」とお願いして見せていただきました。お若いご夫婦のアツアツ画像の合間にこの画像があったのです。これはなんとしても拝借して、皆さんにお見せしなくてはと思い、「この画像もお借りできませんか」とあつかましくお願いしてみた所、氏はいきなりフィルムをリールから無造作に引き出しはじめ、床には何メートルものフィルムが溜まった頃に、フィルムを蛍光灯にかざしながら「ああこれだこれだ」と言って、これまたいきなりその部分を、切ってしまいその日にお借りする別のリールの終端部につなげていただいたのです。そんな行動の一部始終を、不安を感じつつ、あっけに取られて見ていましたが、その扱いは実に手際よく瞬く間の作業でした。本当に8mmがお好きなんだなあと感じたと同時に、同じく8mmが好きだった私の親父の姿とも重なってしまいました。そして、他のSL画像と同時にDVDに落として、PCに取り込み、今回の公開に至った訳です。ついつい、こういう情景そのものにも何か郷愁のようなものを感じ、長々と失礼ですが書かせていただきました。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/
115.九州旅行3日目、C11御召し動画拝見しました 返信  引用 
名前:吉野富雄@直江津    日付:10月23日(土) 0時11分
 こんばんは。
 新作拝見しました。
 当時の直方駅構内は右を見ても左を見ても蒸機ばかりだった…ということがよくわかります。さすが筑豊炭田のお膝元ですね。機関車の種類も豊富ですから、一日中眺めていても飽きなかったのではないでしょうか。それでも休車のD51や9600が、蒸機の終焉間近を象徴しているようです。
 また、御召し列車の動画は本当に貴重なものではないでしょうか。昭和48年当時でも蒸機のお召しがあったというのは意外な気もしますが、それだけ多くの蒸機が生き残っていたという証拠ですね。まさか「SLブーム」に乗って蒸機牽引にした、ということはないでしょうから。
 ご案内ありがとうございました。

http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/

 


118.Re: 九州旅行3日目、C11御召し動画拝見しました
名前:佐々木    日付:10月24日(日) 11時31分
 昨日はのんびり釣りに行っており、夜遅くに帰宅して新潟震災のことを知り大変驚くと同時に貴殿の事が気になり、貴殿の掲示板を拝見した所、大事には至っておられないとのことで一安心でした。しかし、長岡市などでは多くの被害が出ているとの事、心よりお見舞い申し上げます。まだ余震などの心配もあろうかと思いますが、くれぐれもお気をつけ下さいま。
 サイトの方にお越しいただきどうもありがとうございました。
>  当時の直方駅構内は右を見ても左を見ても蒸機ばかりだった…
 本当にそのような図でしたね。この状態が次回にも続きますので、どうかうんざりせずにお付き合いください。
>それでも休車のD51や9600が・・・
 はい、撮影しているときにも一抹の淋しさを感じていましたが、ここではDLの姿をほとんど見かけませんでしたので「イケイケ・ドンドン」の気持の方が勝っていましたね。
> まさか「SLブーム」に乗って蒸機牽引・・・
 はっきりとは言えませんが、その趣向も少しはあったのではないでしょうか??皆さんはどう思われるでしょうか?
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/


120.お見舞いありがとうございます
名前:吉野富雄@直江津    日付:10月24日(日) 20時55分
 こんばんは。
 このたびはご丁寧にお見舞いいただきありがとうございます。幸いにも上越地方では、大きな被害は出ていないようですが、小千谷市を中心として中越地方ではかなりの被害が出ているようです。お亡くなりになった方が21名、怪我をされた方が2000名以上とのことですが、一日も早い復興を願うのみです。
 九州の蒸機たちですが、私のように現役蒸機を知らない者にとっては、垂涎ものの画像ばかりです。今後の更新を楽しみにしています。

http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/
119.拝見しました.そしてご案内です. 返信  引用 
名前:田駄雄作    日付:10月24日(日) 16時41分
佐々木さん、ご案内ありがとうございました.
現役時代の直方はC5553牽引の列車で一度通過しただけ、私にとっては新鮮です.機関区が意外とコンパクトなのに驚きました.あの規模で筑豊界隈の多くの蒸機列車を担当するのですから忙しいことでしょうね.
まさにあちらを見ても、こちらを見てもと言うのはあの時代北海道などでももう無かったと思います.素晴らしい!

しばらく体調が悪く更新ができませんでしたが、一ヶ月ぶりに新作アップしました.
「或る機関車」1976年9月に撮影したスペイン北部オビエドの炭砿で働く1881(明治14)年製のオールドタイマー、030-1423号機に注目してみました.ヨーロッパの旧き佳き時代を彷彿とさせるそのスタイル、昔の映画で見たような気がします.ご興味がありましたらご覧下さい.


http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/

 


121.Re: 拝見しました.そしてご案内です.
名前:佐々木    日付:10月29日(金) 22時29分
>機関区が意外とコンパクトなのに驚きました
 isobeさんのご指摘で知りましたが、もう一つ転車台が有ったのですね。そちらはどの程度の規模なのかは?ですが。確かに写っているところだけでは大きくないですね。

 オビエドのほう、またまた遅ればせながら拝見しました。これまた、北海道や東北と言う”未知の世界”どころではない、まるで”おとぎの世界”ですね。"こんなのもあるんだ”と次々にページをめくりました。やたらに広いブロードゲージ、長い煙突、アンバランスなドーム、変な集煙装置等々、ちょっとした”ひょうきんもの”と言う感じで、これがトコトコ走っている姿を見てみたかったですね。なんとなく周囲に写り込んでいる人たちも楽しげな感じがします。珍しいものをどうもありがとうございました。
http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/

 

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