過去の
第37回
2004/4/9〜
1970年3月9日、この日念願の複々線が、わが町草津まで開通しました。
その祝賀式典の様子を、それまでの工事風景などを添えて紹介します。
皆様よりのコメント |
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管理人
04/09 20:47 |
815:[
新作アップ ]
アルバムには「東海道線京都・草津間複々線工事のあゆみ」をアップしました。1970年3月9日、この日念願の複々線が、わが町草津まで開通しました。その祝賀式典の様子を、それまでの工事風景などを添えて紹介します。動画館の方には、”秋の草津線を走るSL通勤列車”1タイトルもアップしましたので、お時間のあるときにどうぞおいでください。 |
isobe201さん
04/10 01:49 |
816:[
何でこんなところを撮っている人がいるんでしょう ]
拝見しました。工事の看板まで撮影しているとは凄いですね。写真魔?だったのでしょうか?思い出すのは私が子供の頃、東海道線の戸塚〜大船が3複線化の工事中で「東海道線にもうひとつの複線を」という工事看板が出ていたことです。記憶には残っているのですが、写真を撮るなんて言う気になりませんでした。 ムービーも通勤列車の色々な編成の違いが面白かったです。 |
管理人
04/10 13:13 |
817:[
ありがとうございました ]
isobe201さん >写真魔?だったのでしょうか? はあ〜、写真魔って言われてしまいましたか。でもこの時はそれに近かったかもしれませんね。先日、我が町内の人が、草津駅の階段で女性の短いスカートを狙って写真を撮って捕まった人が居ますが、そういう類では決してありませんでしたよ。 当時は京都以西が複々線で、電車同士が並走するのがとても面白く、都会的な感じで、わが町まで複々線になるなんて、すごく都会になるような気がして、わくわくしながら開通を心待ちにしていたのははっきり覚えています。そんな気持が「看板まで」につながったのでしょうか。 >色々な編成の違いが面白かったです。 やはりそちらの方に目が行きますか。私は「地方ローカルの割には長大編成でしょう」と少し自慢げではいましたが。(何も私が自慢する事ではないですが) |
吉野富雄@直江津さん
04/10 19:57 |
818:[
新作拝見です ]
こんばんは。 既に30年前に草津までの複々線化が行われていたのですか。高度成長期で京都・大阪方面への通勤通学客が激増していたのでしょうね。あるいは大阪万博への輸送を見越していたのでしょうか。 工事の様子から開業まで、非常に貴重な記録だと思います。 また、動画館も拝見しました。白煙を長々とたなびかせて走っていく蒸機が秋らしいです。現在のローカル線では、これだけの長大編成はなかなか見られるものではありません。編成中に狭窓の客車がありましたが、スハ32かあるいは旧2等車改造のスハ41(ロングシートの通勤用客車)でしょうか。 ご案内ありがとうございました。 |
田駄雄作さん
04/13 20:33 |
820:[
こんばんは ]
佐々木さん、いつもご覧頂きありがとうございます. ご案内です. 1967〜70年の八高線葛貫峠(高麗川-毛呂)をアップしました.短区間ながら20‰の峠を行くC58、D51、96の長閑な姿をご覧下さい.C58牽引の高尾臨、C58とD51重連のさよなら列車のシーンもあります. 前回ご案内以降、"気まぐれpicture" には [15] 3月末で廃止になった名鉄三河線山区間の2軸Le-Car時代. [16] 新宿駅構内でのスナップに写っていた珍編成. [17] 引退する157系「あまぎ」お見送り.根府川&大船. [18] 70系「成田号」 を追加しています. "D51's Box" にはあらたにご提供頂いた昭和30年代前半の写真を中心に多数追加があります.今回より[最新リスト]を呼び出せるようにしましたので、追加写真がご覧になりやすくなりました. 以上ごった煮のようですが、よろしくお願いいたします. http://tadayusaku.2.pro.tok2.com/ 私の好きな京都のサクラ、ありがとうございます.私は10年ほど前、高槻に2年住んでいたのにサクラの季節は何をしていたんだろう.見に行ってません. 京都のサクラを見に行ったのはもう何十年も前の話です. 新作拝見しました.こうしたレポートをしっかり捉えておられるとは、佐々木さんその後の道を誤ったのかも知れませんね.これはジャーナリストの眼ですよ. |
管理人
04/14 22:23 |
824:[
お礼&拝見 ]
田駄雄作さん >これはジャーナリストの眼ですよ とんでもない、単なる無節操な撮影ですよ。何とか筋を通そうとして、かなり無理が生じていたり、お恥ずかしい次第です。 それと本日急にisobe201さんが梅小路にお見えになり、私も駆けつけました。私はほんの1時間程しか滞在できなかったのですが、久々のC571とのご対面、前にはなかったプレートの展示、C621の客車連結展示、それとおまけにD51200が貨物ヤード内で行ったり来たり動き回っていたり、結構充実した梅小路になりました。D51200は100mほどの間を慣らし運転しているのか、運転トレーニングしているのか?時折爆煙、爆ドレインでの全力加速運転したりで、往年の構内入換作業の再現の如く、その迫力にしばし見入ってしまいました。今になって「何でデジカメ動画を撮影しなかったのか」と後悔しています。 |