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第32回

2004/2/1〜

 

 

高校2年生(1969年)の夏、東海道線草津駅を起点にして関東方面に向かい、

帰路は中部地方を日本海に抜け北陸路で帰ってくるという、当時の私にとっては

壮大な計画を実行した。旅費を安く上げるため、学割の普通列車を乗り継ぎ、

宿は親戚やユースホステルを泊まり歩いた記憶がある。

 

大宮は近郊で大きく、雑誌などで良く目にする機関区だが、この日佐倉へは

なぜ向かったのか良く覚えていない。(何となく足が向いた程度?)

 

皆様よりのコメント

管理人

 02/01 23:20

740:[ 「関東・中部・北陸撮影記」の再開です。 ]

少し中断していました「関東・中部・北陸撮影記」を再開しました。今回は第6弾「佐倉機関区」が中心です。はてさてなぜ「佐倉」だったのか良く覚えていません。形式入りプレートも誇らしげなC5759や、話題になった機関庫風景など、関東方面の皆さんには多少懐かしんでいただけるのではないでしょうか。お暇なときにどうぞお越しください。

isobe201さん

 02/02 19:56

741:[ 関東・中部・北陸撮影記第6弾拝見 ]

どうも、お待ちしていましたよ!この頃は、大宮、佐倉、新小岩、新鶴見でまだ蒸機が見れた頃ではないかと思います。 1970年の正月には、初詣(成田)をいつもの京成利用から、上野発の成田線直通列車にしたんですが、時既に遅し、でDE10の牽引に変わっていました。 それでも客車にほのかにすすと、油と、石炭の臭いが残っていて、ちょっぴり蒸機の気分を味わえました。 前灯予備灯、皿パーなどが付いて、やや変なカマが多かったと思いますが、佐々木さんの目にはどのように映ったでしょう?

田駄雄作さん

 02/03 06:19

742:[ さくら〜さくら〜 ]

私も待ってました.isobe201さんのあげた機関区の他に高島(横浜)八王子なども蒸機がありました. ちょうど成田線が成田まで電化された頃ですね.クハ79がいい味出しています.東武線の電車は大宮か船橋で迷いましたが(東武野田線の両端の駅なので行き先札の「柏」はどちらにもある)大宮駅の東武線ホームは国鉄ホームとハスにずれていた記憶なので船橋だと思います.今はJRも東武も高架になり面影は無いですが. 本題ですが佐倉機関区実は未訪です.当時は東京の西の方に住んでたせいかどうか行っていません.でもこのように関西の方に詳細をお見せ頂けるとは.86.C57.C58.D51と役者は揃っていますね.これって私の和歌山機関区の写真を佐々木さんにご覧頂くような感覚でしょうか. 佐倉に行かれた理由?ひょっとしてあのお方のファンでした?

ついでも宣伝です. 今週試運転、本運転のある只見線C11運転に寄せて、1967年12月撮影の写真をアップしました.以前にも一回出しているので、残りのカットからセレクトした9点といつもよりかなり少な目です.今回は全体にハイキータッチに仕上げてみました.ぜひご覧下さいますようお願いいたします."DC Gallery""D51's Box"にも追加があります.

吉野富雄@直江津さん

 02/03 20:12

743:[ 関東・中部・北陸撮影記第6弾拝見しました ]

 こんばんは。  昭和44年当時ですと、千葉管内にはまだ多くの蒸機が見られたようですね。様々な気動車や電車も入り乱れて、なかなか壮観だったのではないでしょうか。  現在は消滅の危機にあるキハ58やキハ35なども当時は新鋭車として大活躍していたのではないでしょうか。  最後に瀬田駅の開業ポスターがありましたが、遠く離れた関西地区の駅開業の宣伝をするのは、全国組織を誇った国鉄ならではですね。  ご案内ありがとうございました。次回作も楽しみにしております。

管理人

 02/07 11:35

744:[ お礼 ]

お礼が遅くなり申し訳ありません。

isobe201さん >この頃は、大宮、佐倉、新小岩、新鶴見でまだ蒸機が見れた頃・・  そうですね、新鶴見の方が手近なようですが、ここは都会の真ん中と言う感じで何か草津界隈の雰囲気に近い佐倉を選んだのでしょうか???

>それでも客車にほのかにすすと、油と、石炭の臭いが残っていて、 >ちょっぴり蒸機の気分を味わえました。  蒸機列車の思い出といえば、夏場ですとトンネル近くになると一斉に窓を閉めたりしていたものです。トンネルでなくてもよく窓から煙が入って来て、鼻を突くコークスの香り、煙に混じって細かい粒が顔に当たったような記憶もありますが、それが客車に染み付いていたんでしょうね。

>前灯予備灯、皿パーなどが付いて、やや変なカマが多かったと思いますが、 >佐々木さんの目にはどのように映ったでしょう?  草津に出入りするカマはすべて集煙装置(記憶ではミステリートレインのC57110が付けていなかったくらい)でしたので、皿パーは珍しかったですね。関西や九州でも見かけなかったようですが、どこかにあったのでしょうかね?前灯予備灯も高島線からやってきたD51646くらいでしょうか。

管理人

 02/07 11:36

745:[ お礼 ]

田駄雄作さん >他に高島(横浜)八王子なども蒸機がありました.  そうか、こんなところもありましたね。やはり都会よりも、少し田舎指向だったのでしょうか?私の中の謎がまた増えました。

>船橋だと思います.  詳細なご推察、ありがとうございます。でも画像の右上に写っております駅名標の一部を拡大してみますと↓、「おお」と言うひらがなと「OH」と言うローマ字がはっきり読み取れます。更に片方の隣接駅名が2行になっていますが、これはあまりヒントになりませんか。

http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/Chubu/19690825x26J30T06/ekimei.jpg

>本題ですが佐倉機関区実は未訪です.  「灯台下暗し」と言うところでしょうか。私のように気まぐれ鉄道ファンが和歌山未訪でも不思議はないのですが、筋金入りの田駄さんが佐倉未訪と言うのも不思議な気もしますね。

>ひょっとしてあのお方のファンでした?  ”クック・クックウ〜♪”と言うあの”○田淳○さん”?それとももっと昔の”○茂さ○ら”さん?

管理人

 02/07 11:37

747:[ お礼 ]

吉野富雄@直江津さん >様々な気動車や電車も入り乱れて、なかなか壮観だったのではないでしょうか。  当時は、「DLやDCは邪魔」と言う感覚でしたが、そう言われてみて、「丁度世代交代の時期で、両方の世代が垣間見られた」と言う意味ではラッキーだったのだと気付きました。なるほど・・・ >遠く離れた関西地区の駅開業の宣伝をするのは、・・・  この時は生まれてはじめての一人旅、それも”わたし的”には思い切りの遠出でしたので、知らない街で知人に出会ったような思いでしたね。

田駄雄作さん

 02/07 13:16

748:[ ありがとうございます ]

佐倉と言えばあの方、「佐倉宗五郎」じゃなくて、ミスターですよ.

 

 

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