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第28回

2003/11/22〜

 

1969年 関東・中部・北陸 撮影記

(その五)

 

高校2年生(1969年)の夏、東海道線草津駅を起点にして関東方面に向かい、

帰路は中部地方を日本海に抜け北陸路で帰ってくるという、当時の私にとっては

壮大な計画を実行した。旅費を安く上げるため、学割の普通列車を乗り継ぎ、

宿は親戚やユースホステルを泊まり歩いた記憶がある。

この日は東京を脱出して、大宮機関区へ足を伸ばしたようだ。

 

皆様よりのコメント

管理人

 11/22 16:19

686:[ 「関東・中部・北陸撮影記」の第5弾 ]

 「関東・中部・北陸撮影記」の第5弾、「大宮機関区」を新規オープンしました。東京・上野界隈の未練を振り切って、やっとの思いで大宮機関区に飛び出したようです。ここでも関西では目にしないSLや、群れを成すデッキ電機などなど、やっぱり嬉々として撮り捲っている様子が伺われます。お暇なときにでも少し覗いていただければ幸いです。

TADAさん

 11/22 23:47

687:[ デッキ付きの機関車 ]

大宮で何両も並んでいるのは全部EF15のように見えます。 12は両数が少ないのでこのようにきれいに撮れていたのはラッキーでしたね。 13の外観上の特徴は前部デッキ下、連結器のところ(先台車枠)が正面から見て八の字形になっています。 これでけっこう見分けられます。 12と15はやはり先台車が一番分かりやすいのですが(サイドの形が全く違う)、写真に撮るとつぶれていて分からない場合も多いです。後は12は車体側面のパンタ下のあたりに帯板があります。 戦後の15はこれがないので車体関係では一番目立つかと。 ラストの中央に移っているC12?も気になりますね。

isobe201さん

 11/23 02:53

688:[ 大宮機関区拝見 ]

当時はまだ鉄道趣味関係の情報誌が少なく、いつ、どこが無煙化されるか?ということはあまりつぶさに紹介されていなかったと思います。そんな中で、蒸機廃止間近の大宮機関区に間に合ってよかったですね。 私の場合は成田線も、磐東も少しの差で、DL化されてしまっていて地団駄を踏んでしまいました。そんなことを,ふと思い出してしまいました。 思い入れのある29683に出会えてよかったですね。ちなみにこのテンダの後方に大宮区独特の重油タンクが載っていますね。

管理人

 11/24 21:36

689:[ お礼 ]

 早速おいでいただきどうもありがとうございました。

TADAさん  EF12、13、15の詳説どうもありがとうございます。EF12についても、大分画像が荒れていて補正したり、トリミングしたりでやっとこの画像です。 >連結器のところ(先台車枠)が正面から見て八の字形になっています。  画像を並べてみました。EF12と13が八の字形で、15はそうでないと言うことですね。 >先台車が一番分かりやすいのですが(サイドの形が全く違う)、  確かに。15は車輪全体が外から見えますが、12、13は半分隠れていますね。 >後は12は車体側面のパンタ下のあたりに帯板があります。  これは原画を拡大するとはっきり見えました。 >ラストの中央に移っているC12?も気になりますね。  やっぱりそこに目が行きましたか。私もこの画像をタイトルにした時に初めて気づいたのですが、どうも2両とも生体反応がなさそうですね。

管理人

 11/24 21:36

690:[ お礼 ]

isobe201さん >蒸機廃止間近の大宮機関区に間に合ってよかったですね。  上野のC57は逃しましたが、こちらはどうにか間に合ったようです。 >ちなみにこのテンダの後方に大宮区独特の重油タンクが載っていますね。  なぜかニグロハッサンと言う語呂が良かったのか、何故か気に止まったカマでしたが、重油タンクがそのようなものとは気づきませんでした。丁度後方からの画像↓があり、じっくり見てみましたが、丸みがあって面白い形ですね。 http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/Chubu/19690825x26J30T06/19690825J30T0601_29683Omiya.jpg

田駄雄作さん

 11/25 18:50

691:[ 拝見しました ]

実は大宮はは私の生まれた浦和の近く、今は同じさいたま市でいわば地元なんです.その割には1966年に一回のの訪問だけなんですが.その時の写真をいつ出そうかタイミングを計っていました.これで当分延期ですね.こんなに多くの96撮ってないし・・・・.大宮機関区は当時まだほとんど何もない西口から、変な路地のようなところを通って行ったような気がします.佐々木少年の目にはご地元の梅小路や吹田機関区などと較べ、大宮機関区はどの程度の規模に感じましたでしょうか.このシリーズまだまだ続くんですよね.

今週は私の風邪のため大幅に遅れましたが、やっと公開しました. 一本は季節ネタの小作品 「ふゆのたより」京都「嵐山高雄パークウェイ」の展望台から俯瞰した冬枯れの山陰本線旧保津峡駅の様子です.キハ40.58.181など懐かしいオリジナル色での登場です. もう一本は中国ネタ 「続・中国国鉄華中地方の蒸機」前からあった正編と同じ地域をカラーで紹介です.1983年ですので前進型以外の蒸機、KD7、SL6、FD友好型の写真や南京長江大橋内部を行く前進型貨物列車の壁紙サービスもあります. 当時は興味を持つ人が少なく、なかなか発表の機会にも恵まれなかったものです.どうぞご覧下さい. http://tadayusaku.2.pro.tok2.com/

吉野富雄@直江津さん

 11/26 20:51

692:[ 大宮区拝見 ]

 こんばんは。  昭和44年当時の大宮区はまだ蒸機がたくさん見られたのですね。重油タンク付きの9600は初めて見ましたが、これは重入換に対応したものでしょうか。  デッキ付きの貨物機もこのころは当たり前のように走っていたようで、後年わずかに残ったEF15等を根岸線で見かけたのに記録に残していないのが残念です。  試作DLもカメラに納めることができ、大変充実した機関区見学になったのではないでしょうか。  また、24日は「鉄道たび物語」の展示をご案内いただき、ありがとうございました。貴重な写真・資料が目白押しで、訪問してよかったと思います。C11登場前の紀勢東線で、8620形が使用されていたことは初めて知りました。  直江津も冬を迎えて波が荒くなってますが、直江津ではイワシやクロダイなどが釣れているようです。もし機会がありましたら、ぜひ新潟へもお越しください。  失礼しました。

管理人

 12/03 23:22

695:[ お礼 ]

 大宮機関区においでいただきどうもありがとうございました。

田駄雄作さん  そうですね、活気と言う意味では、あの広大な貨物ヤードの所為か、吹田機関区の方があったのではないでしょうか。とにかく入替機があちこち忙しく動き回っていたような記憶があります。その点梅小路は本線機が中心で整然とした雰囲気ですが、今になってみると吹田のほうがデフなしナメクジD51やD52など、貴重な画像が多いように思います。大宮はその中間と言う感じですが、とにかく見るものすべてが新鮮で印象は一番強いですね。

吉野富雄@直江津さん  重油タンクについては、isobe201さんのご指摘ではじめて気付いた次第です。慌てて他の96についても探してみましたが、29683だけでどういう目的だったのかは疑問のままです。これらの画像に限らず、撮影した直後はあれこれ現像してみたりいじくっていますが、その後30年近くは押入れに眠ったままだったのですよね。一応「宝物」だと思ってはいましたが、こんな形で日の目を見ようとは、当時の私には(私だけではないでしょうが)想像だにできませんでした。今改めて「充実感」を味わっています。(他人はこれを自己満足と呼ぶらしいですが)24日は、こちらの方こそ、わざわざ草津くんだりまでおいでいただいた上、大変楽しい一時を過ごさせていただきましたこと、どうもありがとうございました。

 

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