過去の

第23回

2003/9/6〜

 

1969年 関東・中部・北陸 撮影記

(その一)

 

高校2年生(1969年)の夏、東海道線草津駅を起点にして関東方面に向かい、

帰路は中部地方を日本海に抜け北陸路で帰ってくるという、当時の私にとっては

壮大な計画を実行した。旅費を安く上げるため、学割の普通列車を乗り継ぎ、

宿は親戚やユースホステルを泊まり歩いた記憶がある。

まずはこの旅の初日の様子をご覧ください。

この画像は亀山で出会ったC5076。

 

皆様よりのコメント

管理人 

09/06 20:56

633:[ 1969年 関東・中部・北陸 撮影記 ]

 高校2年生(1969年)の夏、東海道線草津駅を起点にして関東方面に向かい、帰路は中部地方を日本海に抜け北陸路で帰ってくるという、当時の私にとっては壮大な計画を実行しました。駅、車窓からや機関区で撮影した安易な画像ばかりですが、まずはこの旅の初日の様子をご覧ください。

isobe201さん

 09/07 01:55

634:[ 拝見しました ]

入換のC50などにもカメラを向けていたんですね。さすがだと思います。私などはさっぱりでした。こういう記録を見せられると、なんでまめに撮影しなかったのか悔やまれます。カメラをカバンの中に仕舞いこみ、そのカバンを網棚なんかにのせてしまうから、こういう記録が出来ないんですかね。 佐々木さんの撮影スタイルはどうだったんでしょうか?

薫製工房さん

 09/07 12:20

635:[ 無題 ]

「1969年関東・中部・北陸撮影記」拝見しました。 列車に乗りつつ車窓から対向列車を撮影… 窓の開く車両、窓を開けるのが当たり前の時代だからこそのカットですね。 中在家信号所で交換のキハ、屋根のカーブやバス窓、前面の雨樋などから見るとキハ17のようですね。

C50やDF50などもしっかり撮影されていて、興味深く拝見いたしました。入れ換え機の警戒塗装(トラ塗り)、北海道では「V」向きですが、関西エリアは「へ」向きだったんですね。

管理人

 09/07 14:28

636:[ お礼 ]

撮影記においでいただきありがとうございます。

isobe201さん >佐々木さんの撮影スタイルはどうだったんでしょうか?  そうですね、1971年の九州撮影旅行には雑誌などの撮影ポイントを少しばかり意識していましたが、この時にはまったく意識していなくて、ただ単に鉄道・機関車・列車が好きに加えて、少しばかり写真が好きと言う感じでしたね。そして、1両でも多く画像に納めたいと言うコレクション系も少し入ってと言う感じで、目に付くもの全部カメラを向けていました。結果このような記録写真の集まりになってしまっていると言ったところでしょうか。一時は貨車まで目を向けたこともありましたが、こればかりは無理と思い、短期間で挫折しました。

薫製工房さん >C50やDF50などもしっかり撮影されていて、興味深く拝見いたしました。  ↑にも書きましたようなスタンスですので、なんでも節操無く撮影した結果でしょうね。キハ17のコメントありがとうございます。ページの方にも追記させていただきましたので、よろしくご了解をお願いします。貴サイトの深川機関区の方は、私の単なる記録写真の羅列だけでなく、ストーリーとそれぞれに含蓄があり面白く拝見しました。機関庫内の画像で切り欠きテンダーに見えたのがありますが、例の変り種96なのでしょうか?

吉野富雄@直江津さん

 09/07 19:09

637:[ 「1969年関東・中部・北陸撮影記」拝見しました ]

 こんばんは。  新作拝見しました。私も列車で旅しながら、目に付いた車輌をよく撮影したものです。昭和44年当時は、関西地方でもかなり多くの蒸機が見られたのですね。  私は蒸機廃止後、C57とC58の廃車体が留置されていた時代の亀山区しか知りませんので、様々な蒸機が動いていた時代の亀山区が新鮮に映ります。  近鉄電車は、養老線の車輌を桑名でとらえたものでしょうか。左側の車輌は、おそらく旧伊勢電のモニ221の後身だと思われますが、手元に資料がないので断定できません。実家に帰った際に確認したいと思います。  C5780牽引旅客列車に1両だけ連結されている寝台車は、おそらく工場からの出場回送だと思います。はるか後年になりますが、昭和57年頃にDD51牽引の客車列車で機関車次位に12系お座敷車を1両連結しているのを見たことがあります。  失礼しました。

TADAさん

 09/07 19:58

638:[ 夏の旅 ]

今のように冷房がなかったころは窓を大きくあけていたものです。交換する列車や駅・機関庫にいる車輌もスナップできたものでした。 今回のUP分、そんな夏の列車の旅を思い出させていただきました。 「近鉄電車?」は桑名の養老線ではないでしょうか? 形式まではちょっとわかりませんがドア横のステッカーは大阪万博のものに見えます。

831列車さん

 09/07 21:10

639:[ 鉄道紀行 ]

佐々木様 車窓の汽車旅、こういった旅が蒸機が周辺に多く健在だった頃の出来たのは素晴らしいことですね。有名撮影地でじっくり待って撮るのもよし、でも旅のスナップの方も時代の風物や背景がさりげなく写りこんでいるのでそれだけでも価値があります。

この数年後に私が会った懐かしいカマも登場していましたので嬉しかったです。例えばD51528、稲沢で最後まで活躍したD51で、46年3月までいたはずです。また当時の御覧になったC57のほとんどが煙室前面角形改造を施されているようで、他の装備とあいまった鷹取工場の徹底さを感じさせました。

続編も楽しみです。

管理人

 09/07 22:14

640:[ お礼 ]

撮影記においでいただきありがとうございます。

吉野富雄@直江津さん  当時の亀山は、梅小路より活気がありましたね。また別の日にゆっくり出かけたこともありますが、客車、貨車の入替にC50などがひっきりなしに往来していました。TADAさんも同じご指摘ですので、間違いなく桑名駅の養老線のようですね。原画をアップして確認しますと、左の車両には6223、右は少し読みにくいですが5631のように見えます。また何かわかればよろしくお願いします。

TADAさん  両手で金具をしっかり握って、左右バランスよく引き上げないと開けられない窓も懐かしいですね。亀山まではSL牽引列車でしたので、トンネルには気を遣ったような・・・?近鉄車両については、吉野さんも同じご指摘で、桑名駅の養老線で間違いはなさそうですね。こちらもアップして確認しますと、確かに黒く丸いシミが5つ円形に並んでいますので、間違いなく大阪万博のシンボルでしょう。

管理人

 09/07 22:30

641:[ お礼 ]

831列車さん  ↓のお礼を書いている間においでいただいたようでどうもありがとうございます。 >でも旅のスナップの方も時代の風物や背景がさりげなく写りこんでいるのでそれだけでも価値があります。  嬉しいお言葉です。尤も私にはそれしかありませんので、私のコンセプトは「記録写真」と「地元ネタ」でいくしかないと思っております。でも、ライフワークとして良いものを残せそうだと自己満足もしていますね。(他人様にどう思われようが、私にはこの時間が楽しいのでそれでよし。。と居直ってもいますが:-)) >他の装備とあいまった鷹取工場の徹底さを感じさせました。  なるほど、そう言う見方もあるのですね。恥ずかしながら改めて見直している次第です。まさしく今、皆さんのおかげですごく勉強にもなっていますね。 >続編も楽しみです。  この辺まではまだ行動範囲ですが、次回以降は当時私にとっての未踏の地でもありましたので、当時の自分に戻って、「わくわく」しながら編集していました。しかし、よく考えれば「私の未踏の地=皆さんの行動範囲」でもありますね。まああくまで自己満足の世界ですので・・・

吉野富雄@直江津さん

 09/09 00:23

642:[ 近鉄養老線の電車 ]

 こんばんは。 佐々木様  貴サイトでアップされた養老線電車、6223と5631とのことですが、6223号なら間違いなく旧伊勢電鉄(現近鉄名古屋線の母体)モニ221形の223号だと思います。伊勢電鉄の電車は乗務員扉が無いのが特徴ですので、形態的にも合いますね。一方の電車ですが、5631号とすれば、旧大阪鉄道(現近鉄南大阪線)のデイ1形の後身になります。  ちなみに5631号は、デイ7→モ5607(昭16改称)→モ5631(昭24火災復旧により鋼体化、改称・昭46廃車)という経歴をたどりましたが、最後は養老線にいたかどうかまではわかりません。この辺りは、次回帰省した際に調べてみたいと思います。  なお、旧大阪鉄道デイ1形の鋼体化改造については、弊サイト電車気動車分館内「近鉄いろいろ」の「先代5800系」のページにアップしてありますので、よろしければご覧ください。URLは、以下の通りです。 http://c11227.hp.infoseek.co.jp/kintetu003.htm  最後は宣伝になってしまい、失礼しました。

田駄雄作さん

 09/10 11:31

644:[ 続きです ]

新作拝見です. 佐々木少年が好きな鉄道車両を求めて、一生懸命撮影されている様子が思い浮かばれます.自分の過去の姿にも当てはめて、ひとことに思い入れを込められる時代があったことは、お互い誇りに思って良いのでは無いでしょうか.しっかりその成果も残っていることですし.

 

戻る