1969年8月21日

(その1)

 

高校2年生(1969年)の夏、東海道線草津駅を起点にして関東方面に向かい、

帰路は中部地方を日本海に抜け北陸路で帰ってくるという、当時の私にとっては

壮大な計画を実行した。旅費を安く上げるため、学割の普通列車を乗り継ぎ、

宿は親戚やユースホステルを泊まり歩いた記憶がある。

 

*小さい画像をクリックすると大きな画像がご覧になれます。

 

 

草津駅を午前6時ごろに発車する「和歌山市行き」に乗り込み、いざ亀山に向かう。

その道中下のような機関車、列車と出会った。

 

 

恐らく草津線のどこかの駅での交換列車。当時6〜7時代には

京都まで直通の通勤列車が3〜4本あったようで、草津から柘植

まででこの2本と交換したのではないか。

左)D51693の牽く通勤列車

右)D51145の牽く通勤列車(ピンボケで失礼)

 

この辺はもう関西線か(柘植のような?)。D51759の貨物列車。

 

    

関西線の車窓より。

左)中在家信号所で交換のキハ20系?

中)C5851の客車列車

右)もう亀山駅かな?

 

<左のDCについて>

中在家信号所で交換のキハ、屋根のカーブやバス窓、

前面の雨樋などから見るとキハ17のようですね。

by薫製工房さん

 

 

いきなりはじめて見る「入替中にいそしむC50」のお出迎え。

 

庫に憩うC57姉妹。C57145(右)と146(左)

 

 

こちらはC50兄弟。C5075(左)と76(右)。この時にはまだラストナンバー(154)は居なかったのかな?

 

1972年「鉄道100年記念」に借り出され、横浜を駆け抜けたC577。

 

待機中のC5767

 

  

D51209(左)、回転中のD51403(右)

 

  

ディーゼル機関車(DF5014)や気動車(キハユ15 4:変な露光で失礼)も。

D51738貨物列車発車。

 

 

亀山を後にして、一路名古屋に向かう。その途中に車窓から見えた列車たち。

 

キハ82系特急「くろしお」

 

 

キハ58(かな?)系急行列車(左)と右は何やら新造車の様に綺麗なDC。(試運転と表示)

 

<右の画像について>

キハ65や181のための試作車キハ91とのこと、「JNR Runners画像掲示板」にて

管理人様及び常連の方々にご教示いただきました。

 

  

D51468貨物列車(左)、D51528貨物列車(右:弥富駅)。

 

近鉄車両か?左の車両には6223、右は少し読みにくいが5631のような。

 

<上の画像について>

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「近鉄電車?」は桑名の養老線ではないでしょうか? 形式まではちょっとわかりません

がドア横のステッカーは大阪万博のものに見えます。by TADAさん

(拡大してみると確かに丸いシミが5つ円形に並んでいます。by管理人)

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近鉄電車は、養老線の車輌を桑名でとらえたものでしょうか。by吉野富雄@直江津さん

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どうも桑名駅の養老線のようですね

 

 

C5780の牽く客車列車。一両目は寝台車のようにも見えるが?

 

 

次回に続きます。どうぞご期待ください。

 

 

<改訂履歴>

2003/9/7 近鉄車両についてご指摘(TADAさん吉野富雄@直江津さん

2003/9/7 キハ91(JNR Runners画像掲示板さん)、

キハ17(燻製工房さん)ご指摘追加

2003/9/6 新装オープン

 

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