1968年12月27日

 

 

私が高一の冬、吹田機関区を訪れた。ここは東海道線吹田と岸辺

(下り線で大阪の十数分手前)の中間にあり、当時全盛を誇った

国鉄貨物の一大基地「吹田操車場」で働く蒸気機関車、

ディーゼル機関車、電気機関車の拠点でもある。

デフなしナメクジのD51や、迫力満点のD52など、日ごろ草津線で

D51やC58しか見ていなかった私にとっては、見るもの全てが

珍しくて、ワクワク・キョロキョロしながら場内を歩き回った事を覚えている。

 

 

 

いきなり、ドカーンとD52142号機の登場。

このパワーで入替用は無いと思うが、どこを走っていたのかは?

あるいは、広大な貨物操車場での長大編成貨物の入れ替えには

これくらいの力持ちが必要かも。

 

 

蒸気機関車たち

 

 

ここで働いていた蒸気機関車たち。

 

入れ替えに勤しむC11363

 

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デフなしやナメクジのD51たち

 

 

D5151フロント&リアービュー

 

D5173とD5177

 

D51115と扇形庫でくつろぐ585・133号機

 

よく見るD51たち

 

 

144号機と754号機

D51841

 

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迫力のD52たち

 

D52142リアビュー

上空には丁度宣伝用の飛行船が横切った。

 

 

D5228とD52142

 

D52余話

142号機は、この撮影の約1ヵ月後の昭和44年1月31日にダンプカーと衝突大破したようです。デフと正面ランボードは大きくへこみ、側面のパイプ類のほとんどが引きちぎられるという惨状だったとか。142号機は幸いにも修復されたものの、吹田一区には戻らず、そのまま昭和44年3月14日付で五稜郭区へ転属、28号機も後を追って3月23日付けで同区へ転属して、本州のD52が全滅してしまいました。すなわち↑の画像は、本州のD52全滅の約3ヶ月前の画像と言う事になる。

以上、田駄さん、吉野さんよりご教示いただく

 

 

電気機関車たち

 

蒸機に負けず、電機も色々頑張っていた。

 

EH103 1〜4号機までは、パンタグラフが中央寄りに設置されている。

パンタグラフによる架線に対する揚力の加減で、5号機以降は前後に

離れて設置されるようになったとか。

 

 

EF6613他

右手前はEF6024。よく見てみると、EF66の向こう側はデッキ機

のようだ。原画を拡大してみると「EF??146」のようだ。

 

「EF15146だろう」と23:50発「144レ」さんよりご教示いただく

 

 

ディーゼル機関車たち

 

DE10901

 

DE1111

 

DD5146

 

当時DLを邪魔者扱いしていたが、なぜか適度に撮影はしている。

今整理してみながら、DE10、DE11、DD51と形式別に押さえていることに

気が付いたまでは良いが、DE10とDE11の違いがわからない。どなたか

ご教示いただければ幸いです。

 

DE11について

ヤードにおける重入替を目的として試作されたDE10901の量産形である。DE10501〜をベースとして、これの車体台枠変更により軸重を14tに増大し、重連総括制御装置、放熱器素散水装置などをのぞいたものである。最大引張力は軸重増大により21,000sとDE10よりいくぶん大きく、入替機としてはSLの9600形を上回る性能を有する。外観ではDE10にくらべ、車端に重連用各種連結器などがなく、運転室外側車両番号取付位置が白線上に並んだことなどがおもな相異点である。
(誠文堂新光社['68'69国鉄新車ガイドブック」より)

23:50発「144レ」さんよりご教示いただく

 

 

電車たち

 

80系のクハを先頭に、なにやら訳のわからない編成の列車が入線してきた。

 

2両目以降の拡大画像です。

 

 

<改訂履歴>

2002/7/25 新装オープン

 

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